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ドラマクィーン

まあ、ざっと言って悲劇の主人公のことです。
自分の思い込みで認知が大きく違っている、そんな人です。
誰も気にしていないのに、あの人はこう思っているから
私の投稿にいいねしないのだわ!
とか、確認もしないで決めつけて勝手に怒る、
あるいは異常に気にする。
なんでもないことをわざわざ大げさにしてしまう。

認知のバイアスが正しくない人、とでも言いましょうか。
思い込みのベールが被っているので
青色のものを紫とみる。
紫ならまだ近いけど、黄色だと思う。
そして、私は黄色でかわいそう。。。
とやってしまう感じですね。

認知バイアスで言えば
ワクチン、反ワクチンにしても
結局自分のみたい物を
見たいように見てるという事実があります。
極端に行きすぎると、反論を読んでも、
既に自分の考えは決めているので
決めつけによって、それは偏った情報だ、(偏見)
そっちの情報は操作されている。
と、相手を攻撃することになります。
両方とも、同じ言い分ですね。
もちろん自分とは違う考えを尊重する人も多いと思いますが。

話は戻ってドラマクィーン。
人生に平穏無事と、安心を求めながらも
実は何らかの事件を求めている人もいますね。
刺激を求めていると
刺激になることを無意識的にしてしまう。
ということもありそうです。

私事ですが去年の4月からほぼ一年
とある会社の社長さんから
「急に従業員が辞めるので困っているから助けてもらえないか?」
とお話を頂き次の人が見つかるまでという約束で
経理のお仕事に行ってました。

私の今までの職歴は、ほとんどが
困っているから来てくれないか?
というオファーをもらって得ています。
もちろんありがたいことで、出来ることならさせていただきます
と出し惜しみせずに、頼まれたところに行ってました。

働けるのに断ることもないし、(もちろん嫌だったらしませんが)
貢献できることは嬉しいことですから。

昔から、子育てと働くことは社会貢献と思っているので
それにより、自分が得ている貢献度というのがあるわけです。

しかし、この仕事を始めたときに
「承認欲求」だね!とある人に言われて
とても違和感を覚えたことを思い出しました。
それは、貢献はそちらのため、承認欲求は自分のため
という思考が私にあったからでした。
結局のところはそのバランスでどちらも混ざっている。
と思います。
仕事は給料という対価を頂くので
そのバランスが悪いと続かない。。ということもあります。

子育ては究極のボランティアですが
この上ない喜びをもらいます。

嫌な仕事をしている人は
どこか、ドラマクィーン的に
何かのバイアスがかかっているかもしれません。
上司の言葉にそんな意図はないけど
自分の自信のなさでダメ出しされたと取ってしまう、、など、
よくあるパターンのように見受けられます。
もちろん、パワハラ、モラハラ上司は問題外ですから
我慢は禁物ですが。

この仕事をしてあげている。貢献している。
会社のためそれは社会のためにもなっているし、
多額の税金も納めている。
あなたのおかげで助かる人がいっぱいいる。
そんな連鎖がありますね。

サラリーマンだから、私の代わりなんていっぱいいる。。
と思って働くか
私のおかげでこの会社は回っている、くらいのつもりで
働くかで、かかる心の負担は変わります。
全く同じ仕事内容ですが心もち次第で
仕事も楽しくなったり、やりがいになったりします。

新入社員のみなさんも緊張の連続でしょうが、
会社に新入社員が必要だかから採用されているのですから
過度の期待を受けすぎず、足元固めて仕事を覚えて
力になっているなと感じられると自信になっていきますね。

どうせなら、悲劇の主人公にならずに
自分の人生の主人公なんだし、
自分なりの社会生活のストーリーを
自分が作っていけるといいですね。





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