見出し画像

読書日記『自由からの逃走』

『自由からの逃走』読了
エーリッヒ・フロムの鋭い視点で書かれた心理学者の本だなと思いました。
本当の自由の勝利とはどうなるべきか。
その目標は純粋な個人主義の発展を約束する物質的基盤という意味で資本主義は前提だけはつくった。
しかし、我々の直面している課題は、人間(組織された社会の成員としての)が社会的経済的な力の主人となって、その奴隷であることをやめるようにそれらの力を組織化することであると続いている。
まさに今の私たちが直面している課題でもある。

これを邪魔するものも一つに、それぞれの批判的な思考力を麻痺させるということがあるが、それがこの本ではラジオ、新聞、映画が取り上げられていた。
今ならテレビだろう。

都市の爆撃や何千という人々の死を報ずるニュースに、なんの恥ずかしげもなく
石鹸や酒の広告が続きニュースを中断している。
深刻なものと日常の平穏な内容が並列していく。

こうなると、私たちは、感情や批判的な判断は妨害され、ついには世界におこっていることがらにたいする我々の態度は平板な無関心な性質のものとなる。

私は先日たまたま観ていたテレビ放送で同じことを体験した事を思い出しました。
世界の物凄い大惨事が映され、その事がもう少し続けて放送されるだろうと思ったら、次の瞬間全く平和そのものの日常の話題に何の解説もなくパッと変わってしまう。

何か家畜にベルトコンベアで餌をやるごとくに情報を無差別に単に垂れ流していて、報道の責任というものが全く感じられない。

報道の自由とは、報道の無責任という意味ではないはずですが。
フロムの文章を読み、それが世界の無関心を作り出していることに私たちが気づいていないといけないと強く思いました。
この本が書かれたのは1941年。1934年にナチスを逃れてアメリカに移住。
その間ファシズムが進んでいくのをみながら世界の無関心に心を痛めていたのではないだろうか。
この本が書かれてもホロコーストは進んでいった。

私たちはもう二度とこのようなことを起こさないと、本当に言えるだろうか?
特に今の日本のマスコミの放送や国民の政治への無関心、世界情勢への無関心をみると、とても改善に向かっているとは思えない。
私もその中のひとりとして。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?