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ユニークの逆は「普通」、それはもったいないと思うわけ

私は今、幾度目かの個人事業主で仕事をしています。屋号は【ユニキャリア】といいます。

自分でつくった造語で、“人が皆、ユニークなキャリアで生きる社会にちょっとでもしたい”という願いを込めています。
そうです、ユニークなキャリア→ユニキャリアです。

なぜ、この名まえを思いついたかと言うと…「普通」に生きようとしている、または「普通」にしているのがもったいない人がたくさんいるのを、とても残念に感じていたから。いや、その前に自分が「普通」であろうとして苦しかった記憶があるからかもしれません。

「普通」というものさし

私たちは、子どもの頃から何年にも渡って「普通」というものさしを当てられてきていませんか?

普通、そうするでしょ
普通、そんなことしない
普通じゃないね
普通は学校(会社)へ行くもの
普通にしていないと目立つから

私は過去、親や学校の先生、上司や同僚、友人、知人に言われたときに「普通ってなに?」と、疑問に思ったことが幾度もあります。

一方で、「普通」にできない自分に涙したことも多々あります。前回、転職のプロなんて見栄を張ってみましたが、実際のところ、次の職場を決めずに転職したことが多く、決まらない時期に「なんで、皆はちゃんと会社勤めができるのに、私は続けられなかったんだろう…普通じゃないのかもしれない…。人間としてダメなんだ」なんて。

今でこそ、顔が違う、体格が違う、性格も得意や好みも違う、それを「普通」っていう枠に入れようったって無理ですってば!そもそも人はそれぞれ「ユニーク」なんだから!と大声でも言えるのですが、私自身が「普通」であろうと揺れていた時期は長くありました。

人は本当に「普通」に生きたいのか

「普通」という言葉の使い方として、もう一つの側面があります。これどう思う?と自信作のモノやコトを人に問うたときに、普通だねと言われたらどうでしょう。私は、ちょっとガッカリです。できれば、いいね!面白いね!らしいね!他にはないね!って反応してもらいたいです。

じぶんらしく生きたいと思っている
自分ってこうだからとわかってほしい
こんなところが秀でているねと言われて嬉しい

これらの言葉にYESだとしたら、それは「普通」という枠ではなく、その対義語でもある「ユニーク」でありたいってことだと思うのですが、どうでしょうか。

「ユニーク」っていわれちゃうと、いやいやいやいやいやいやいやいや、それほどでもない…って言いたくなりますが、遺伝子的に見ても私たちは、そもそもユニーク(唯一)です。だから唯一らしく、他とは違って生きていくのが「普通」になればいいと思っています。

でもそれは「変わってる」というのと表裏一体。「変わってる?ユニークでよかったー!」っていう反応が多く聞かれるようになったら、それはその人の唯一加減が表出されたということでステキなことだと思うんだけどなぁ。

人はみな違うからこそ面白い

私は、人のユニークさにとても興味があります。どんなふうに生きてきて、何が好きで、どんなことが得意で、なぜそう考えるのか…そんな話が大好物です。そして、その人の特長を、独特さを掘り起こすことが得意です。

転職10回以上、異なる業界、業種、職種で出会ってきた人たちを、ここだ!ここがユニークだ!っていうスイッチを見つけて、その人への関心度を自然にグッと上げています。

誰一人、同じ人はいない。どれだけ人に会っても、常に興味深く面白く、楽しいばかりと言うのが正直なところです。

無難に普通に生きてこようとしてこなかったか

私が掘り起こして相手にお伝えする「ユニークなアイコン」それに、本人は気づいていなかったり、言われてもピンとこないなんてこともあります。だけど、それに本人が気づいたとき!それを境にその素敵さが増していく!能力や魅力を発揮していく!

それを見ていて、もっとその人らしさ、そのユニークさを出していけばいいのに!いや、そのユニークさこそが人それぞれの武器なのに!!ということを強く思うことが多々あって、ユニークという言葉にこれだけの思い入れがあるのです。

最後にユニキャリアの語源にもう一つ添えると、“ただ一つの”という意味を持つ「ユニ(uni)」の意味も兼ねています。

私たちはこの世に一人だけ。

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