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ホロコーストの足跡

チェコに生活し始めて7年。日本のニュースはfacebook、日経、NHKのウェブサイトで見るだけ。その中に信じられないニュースがあった。

何とかクリニックの院長(いまだに何でこの人が有名なのかまったくわからない)が「ホロコーストが本当だったか疑問」とか何とかいうツイートに対して、アウシュビッツの公式ツイッターが返信をしたというものだった。私のツイッターアカウントはもう10年ほどフリーズしたまま。検索したら出てくるのはこんなニュース→「アウシュビッツは史実」

このニュースを見た時、昔facebookに投稿したものを思い出した。


日本語講師をしながら生計を立てていた2年前、ポーランド人の若い女性を教えていた。ケミストリーPh.D.。英語はもちろん、スペイン語(バルセロナ在住)、イタリア語(フィアンセはイタリア人)、日本語を話す、相当頭がいい人。

何かの拍子で、私がこれまでスペイン語、イタリア語、オランダ語、そしてドイツ語をちょろっと勉強したことがあるという話をしたら、「私、ドイツ嫌いなんです」と言った。

なぜかというと、彼女のおばあちゃんはアウシュビッツに収容され、生き延びた人の一人。娘も孫も、もちろんその話を聞いて育った。だから「ドイツ人が嫌いというわけじゃないんです、ドイツ人の知り合いや同僚もいますけど、でもドイツは嫌いなんです」と言った彼女の言葉に、私は言葉を失い、心臓はドキドキとし始めた。(それも全部日本語で話してくれた)

こんなに若い人にも、アウシュビッツの影響が残っている。戦争から80年が経とうとしているけど、まだまだ戦争の傷は残っている。


他のポーランド人の男性を教えた時、「僕アウシュビッツ近くの町出身です。小さいころ、いつもアウシュビッツで遊んでました」って言っていた。(ジョークかもしれないけど)


トップの写真は、チェコで見られるもので、ホロコーストで亡くなった人の家の玄関先にこのように名前と亡くなった年が刻まれている。

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これは私の通勤路にあるもので、こういう何でもない通りの何でもない建物の前にある。先日、このプレートをティッシュで拭いているおばあちゃんを見かけたので、あぁ、そういえば何とかクリニックの院長のニュース、あったなぁと思いだした。

アウシュビッツ以外にもヨーロッパ各地に収容所があった。チェコのテレジンという町にもあって、このプレートの12歳の少年は1942年、テレジンに連れていかれ、その後アウシュビッツで処刑されたとある。38歳のお父さんもテレジンに連れていかれ、1945年、ドイツのDachauの強制収容所で処刑されたとある。

12歳の少年が、なぜ処刑されなければいけなかったのか。


このプレートを置くことがいいのか悪いのか、その議論はここではあえてしない。

私が言いたいのは、何とかクリニックの人、ヨーロッパに来たことないんだろな。ヨーロッパ人と話したこともないんだろうな。心も見識も狭いんやろな。残念やな、ということ。

旅行なんかして、留学なんかして、将来何のためになるとか言う意見があると聞くが、旅行や留学でいろんな国の人と交流し、意見を交換し、歴史を学ぶことで、平和が築かれるのだと思う。

あるグループの人間が、どの人間が価値があるかを決め、あるグループの人間を皆殺しにすることを法律で許可するなど、そんなことが将来絶対にないように、そんなことを提案する政府に絶対投票しないように、一人一人が歴史を学び、国際関係を深めることは大事であると思う。

ヨーロッパに来て、どれだけ自分が無知だったかに気づき、恥ずかしいながらも正直に知らないと言えば、ちゃんと教えてくれた。個人の経験として教えてくれる人がまだ生存している。


年取ったおばちゃんの発言のようだが(実際そうだけど)、、、

日本人、とにかく外に出て世界を見て!

こんだけの経済大国になったのに、「井の中の蛙大海を知らず」じゃもったいない!

先日亡くなった緒方貞子さんは「自国だけの平和はありえない」という言葉を残していらっしゃる。本当にその通りだ。


日本の技術力、経済力をもっと平和に活かせたら、すばらしい。

私の甥っ子たちにも、世界中の人たちと語り合ってほしいなぁ。

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