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祖母の介護事件簿!90歳を過ぎて骨折しても、自立した生活が送れる

寝たきりになる原因で一番多いのは、脳血管障害、骨折、認知症などです。しかしながら、寝たきりになる直接の原因は、これから先の病気やケガがきっかけで引き起こる「廃用(はいよう)症候群」です。廃用症候群とは、体を使わないことにより起こる全身の心身機能低下のことで、健康なかたでも、しばらく安静に寝ていれば誰にでも起こりうる病気で、生活不活発病とも呼ばれています。

90歳を過ぎて骨折しても、身の回りのことが出来るようになる

一緒に暮らしていた私の祖母は、90歳を過ぎても遠方へお出かけするなど、とても活発な人でした。そんな祖母も、92歳の時、転んで大腿骨頚部骨折で手術をしました。

高齢者によくある足の付け根の骨折、大腿骨頚部骨折は、骨折の中でも寝たきりの原因で多い病気です。それでも、骨折をしたからといって、必ず寝たきりになることはありません。

祖母の入院生活は長期化しました。それは、1度目の手術で、大腿骨骨幹にヒビが入り再骨折したためです。結局、せっかく手術をしたにもかかわらず、3ヶ月間の体重負荷禁止。そして、もう少しで・・・という2ヵ月後、まさかの2度目の大腿骨頚部骨折(反対側)で手術しました。

その後、最初に骨折した足にしっかり体重をかけてもよくなったとき、我々は自宅療養を選択し、自宅へ戻ってからも、自立支援を心がけました。祖母は、1年ほどの歳月をかけて、90歳を超えてから2度の骨折を乗り越え、ポータブルトイレを使用し、身の回りのことは自分でできるようになりました。
  
‘もう90歳だから・・・’という言葉をよく耳にします。しかし、私は、オムツで排泄するのは気持ち悪い、自分でトイレに行きたいという気持ちが残っているのであれば、‘90歳だからこそ’より努力する必要があると思っています。

その努力というのは、ムリをすることではありません。私の祖母も、 ‘自分のことは自分でしたい’という気持ちがある人でした。だからこそ、家族も‘自分でできることはやってほしい’と願いながら、寝たきりにならないようにコツコツと自立支援を心がけたのだと思います。

医療従事者のアドバイスはきつい?

祖母の介護が始まってから、すべてが順調だったわけではありません。

祖母が骨折して手術をしたあと、

・面会に来たときは、必ず起こす(目を覚まさせる)
・起こすために、ベッドをギャッチアップする(主治医の許可の範囲で、頭を上げる)
・話しかける

そんなことを母にお願いしました。

そうしたら、母から、「あなたの言っていることはきつい」・・・と言われ、言い争いになりました。

私は、理学療法士として担当した他の患者様家族にも同じ内容の指導をしてきました。
そのアドバイスどおりに頑張っている家族、そうでない家族、様々です。

母は、「きつい」と感じたんですね。

それから1年後。

私の祖母は、90歳を過ぎて骨折を2度乗り越え、身の回りのことが出来るようになりました。

その頃に、母が、「あのときあなたがなぜああ言ったのか意味が分かった」と。

あのとき、私が祖母の頬をピシャッと叩いて起こしていたんですよね。それは、昼と夜が逆転して、昼間に寝ている時に熟睡して、声をかける、ベッドアップするだけでは目が覚めないんです。でも、かわいそうだからと言って、そのままの生活を続けていると、認知症がすすみ、寝たきりになってしまうのです。

25年たった今の私なら、もっとうまく伝えることができます。

家族へ伝える技術、大切です!

デイサービスでうつったのに、デイサービスに来るな・・・ってどういうこと?

2度目の手術は、私が当時理学療法士として勤めていた病院で受けたので、リハビリの日常生活動作室という名の物置部屋で、母は仮眠させてもらったりしていました。

そんな恵まれた環境?でも、お泊り付き添いが長期化するとつらいですよね。
私も祖母の付き添いで寝ましたが、簡易ベッドはとても寝心地が悪いし、寝ても疲れがとれません。

「祖母の隣で寝なければいけないのなら、病院よりも家の布団がいい」ということで、先に骨折した足に体重をしっかりかけても大丈夫という時期をみて、自宅療養生活を選びました。

寝たきりになると家族が大変になると分かっていましたから、私が厳しく口出しして、在宅での寝たきり予防プロジェクトは大成功!

父と母は、周囲からそれはそれは大絶賛されました。

なぜなら、足の付け根の大腿骨頚部骨折は安静期間が長く、寝たきりになることが多いのです。しかも、祖母の場合は、両側の大腿骨骨折の手術をしていますから、安静期間がさらに長くなりました。
それでも、92歳の祖母が身の回りのことができるくらい自立したのですから、周囲の方は驚かれました。

私が理学療法士として働きはじめて5年目、1993年のことです。
介護保険が施行される前の時代ですが、その後、デイサービスに通い始めました。

デイサービス利用の目的は、入浴です。
実家の浴槽が深くて入りにくかったんですよね。

ところが、デイサービスで疥癬(カイセン)にうつってしまったのです。
にもかかわらず、デイサービス側は、「他の方にうつるからこないでください」と。
デイサービスでうつったのに、デイサービスに来るな・・・ってどういうこと?

疥癬は、全身にぶつぶつができて痒くなる病気で、皮膚の清潔を保つこも、疥癬の治療のひとつなんですよね。
母は困り果て、理学療法士だった私のところに電話がありました。

実家の浴室を住宅改修して介助しやすい環境をつくる

祖母の介護がはじまった頃は、まだ介護保険サービスが開始される前でしたが、当時も、今の住宅改修費に該当する補助金がありました。
それを利用して、浴室を住宅改修することに。

そこで、私が母に代わり、市役所の方や業者さんと打ち合わせをしました。
いろいろ検討した結果、市販の入浴ボードの高さが浴槽の高さよりも低いものしかなく、矢崎工業のイレクターでシャワーイス をオーダーで作ってもらいました。

でも、市の担当の人からは、オーダーっていったい何をつくるんですか?

・・・と突っ込みが入り、デイサービスには来るなといわれるし、家の浴槽が高すぎて市販のモノは使えない等々、オーダーが必要な理由を説明して許可していただきました。

さらに、浴室の出入り口の20cmほどの段差は、大工さんにスノコをつくってもらい解消。

でも、この全面スノコには欠点があります。
床の掃除をするときに、スノコを外して掃除しないといけないので大変!

こうして、ヘルパーさんを利用し、祖母の疥癬(カイセン)撲滅運動プロジェクトが始動しました。半年くらいかかったかな?

浴室の環境整備がととのい、ヘルパーさんの介助も楽になりました。

祖母、温泉旅行へ行く

自宅での疥癬(カイセン)の処置にかんしては、祖母の場合、対応はスムーズでした。

それはなぜかというと、その2、3年前に、当時勤めていた病院で、私が疥癬にうつって自宅待機したことがあり、家族みんなが対応の仕方を知っていたのです(苦笑)。

周囲のスタッフは大丈夫なのに、皮膚が弱い系の私だけうつった苦い経験です。

手術後、祖母は、まだらに認知症の症状がありました。しっかりしているときと、そうでないとき。

ある日、祖母は、家にいながら塩原温泉に旅行に出かけました。

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そう、妄想です。

温泉旅行にいけたのには訳があって、疥癬の治療のために硫黄風呂にはいっていたので、硫黄のにおいが残っていたのです。

祖母は、五感で温泉旅行に出かけたんです。

祖母は幸せな人だったと思います。
96歳、大往生の人生でした。

祖母の遺品整理の話はこちら↓

環境をととのえて効果的に生活リハビリをしながら生活不活発病を予防!

生活リハビリとは、日常生活の動きで、高齢者が持っている最大限の「できる」能力を引き出すこと。

つまり、洋服を選べる人は、自分で洋服を選ぶこと。その行為を続けることが、本人の能力を失わせないことにつながります。

祖母の場合も、介護が必要になっても、日常の基本的な動きである食事、排泄、着替えなど、最小限のお手伝いを心がけていました。
最小限のお手伝いを継続することで、生活不活発病の予防になるのです。

まとめ

治療がひと段落しても、病院でリハビリをして歩けるようになっても、それは終わりではなく、生きて再出発の始まりなのです。私は、リハビリ後も、体の状態を維持し続けることの難しさを介護の現場で感じてきました。

たとえば、整理収納で自分で洋服を選びやすい環境をつくれば、生活不活発病を予防することができるのです。同時に、洋服の準備がしやすければ、介助する人の仕事も減らすことができます。

ご飯を食べる楽しみ、自分で洋服を選ぶ楽しみ、お料理をつくる楽しみ、掃除をしてきれいな空間で暮らす楽しみ、おしゃべりを楽しむなど、自分の意欲を持って、したいことができる環境をととのえることも大切ですね。

では、どのように環境をととのえていくと介護がラクになるのかは、「介護しやすい環境と、要介護者の快適な暮らしを両立させるために、自宅でできる3つのこと」を参考にしてくださいね。



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