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循環と共に生きる

少し前に「人生100年時代」とよく言われていたなあ。

今日、本棚の整理をしていてふと思いました。

実は過去の長い一人暮らし期間では、アパートの契約更新をしたことがありませんでした。2年の契約更新が来る前に次の場所に引っ越していました。引っ越しを簡単にするために、本や洋服なども引っ越しのたびに大処分でした。

処分するモノを選ぶ時、品物を手に取りながら購入当時のことをよく思い出しました。

これはいつなんのために買ったんだっけ。
どのくらい使ったかな。
誰といる時に、どんなふうに使っただろう。

手に取りながら様々に想いを馳せます。

私はNLPでいうところの体感覚が優位なため、触覚や嗅覚によって記憶が呼び起こされます。

NLPの体感覚についてはこちらがわかりやすいです、ご参考まで。

例えば本であれば、読みながらメモしたり絵を書くのが好きなので、パラパラとページをめくって当時のメモを読んでまた少し本を読み返したりして、モノよりもさらに深く想いを馳せます。

もともとモノに執着はまったくなくて、ひとしきり想いを馳せたあとはバッサリと捨てるのですが、この「想いを馳せる」時間は私にとって大切な時間です。

多くのモノを入手して、いろいろな経験をともにし、私の中に記憶が刻まれ、ひとしきり想いを馳せて手放す。モノを粗末に扱っているわけではないのです。目的があって入手して、自分の人生と共に大切に時を過ごし、そして手放す。

この循環をどれほど繰り返して来たことでしょうか・・・

最終的に手放すのなら、なぜまた新たなモノを入手するのだろう。

手放すためにモノを入手しているのか。
手放す行為そのものに何か意味があるのか。
手放す時に感じるもの、痛みや時には喜びのようなものが自分にとって大切なのだろうか。

そんなことをたまに考えながらも、変わらず循環する人生を続けています。

これまで多くのモノ、仕事、そして人や気持ちも循環してきました。気がつけば、まさかのアラフィフと言われる年代になっていました(汗)

今年から来年にかけて、長く私の人生と共にあったいくつか大きめなものを手放します。時間はまだあるので一つずつ、丁寧に想いを馳せているところです。色々なことがあったはずなのに、楽しかった記憶や感謝の気持ちしか出てこないことに幸福感と不思議さと、ある意味必然も感じつつ。

過去に大切にして、そして手放したいくつものモノ、こと、人のおかげで今があります。私が手放したものは、それを必要とする他の誰かの元へゆっくり循環していくイメージを持っています。

少し軽くはずのリュックに、今度は何を入れて歩こう。欲しいものはいくつかすでに決めていて、少しずつ動かし始めていて、自分の人生がさらに望む方向に進むと信じることができています。

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今回の写真は、京都で切子職人として頑張る知人にフルオーダーで作ってもらった大切なグラスです。色や形、カットなど、全て私のイメージ通りに作ってもらって一生の宝物となりました。いまは一生物と思っているこの大切なグラスもいずれ、誰かに循環したいと思う時が来るのかもしれませんね。


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