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しっくりがやってくる

「なんかよい」とか「しっくりくる」という言葉をよく使う。

「なんか」とは何なのか。「よい」とはいったい何が「よい」のだろうか。「よい」と思うからには、何か「よい」というところがあるはずなのだが、それを言葉にするのが難しい。
同じように、「しっくりくる」の「しっくり」を説明するのも難しい。「しっくり」とは一体何なのだろうか。


「この石ころは見るからによい石ころだ。」
「ほほう、確かに。見るからによい石ころだ。」
「このあたりなど、とてもしっくりくる。」
「ふむふむ、このしっくりくる感じがなんかよいですな。」


とある高級石ころ店で、こんな会話が聞こえてきそうだ。いったい何が「しっくり」なのだろうか。このふたりは、果たして本当に同じ「しっくり」を体感しているのだろうか。

もしかしたら、ひとりは色艶にしっくりきているかもしれないし、もうひとりは形や手触りにしっくりきているかもしれない。しかし「しっくり」という言葉が、全てを包み込んでくれるとても優秀な言葉なので、なんとかなっているのである。「しっくり」の内容がガッチリ一致した時、ふたりは生涯親友になれるだよう。

私自身「しっくり」という言葉をよく使用するのだが、「しっくり」について改めて考え始めると、だんだん「しっくり」に違和感が出てきてしまった。「しっくり」が「しっくり」こなくなってしまったではないか。こんなにも「しっくり」を文字として見ることがあろうとは。「しっくり」のゲシュタルト崩壊。夢にでも出てきそうだ。

そもそも「しっくり」が「くる」というのもなんだか変な感じだ。「さっぱりくる」や「すっきりくる」という言葉はないのに、なぜ「しっくり」だけこちらにやってくるのだろうか。ふとした瞬間にやってきて、すっと心に入ってくる。「しっくり」よ、お前は一体何者なのだ。
どなたか日本語に詳しい方がいれば、しっくりくる説明をお聞かせ願いたい。


おしまい。

しっくりくる


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