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ソクラテス編2

彼は、正しさとは、「知」を持ってするものであり、知らないことを、学んだ時、正しき行いが、できるのだとして、「知・徳」を挙げて、知を持ってなすことが、徳であると結論づけた。

知を持って徳をなす、幸福な人生と、不誠実な不幸を知り得た。

 

市民は知恵の上で、徳をなすことが、ソクラテスが得た、普遍的真理であった。

彼にとって、思考し、議論して得た真理は単なる知識ではなく、例えその矛先が自らに向いても、実践的真理であった。彼も、自らの周囲の者を考えないわけではなかったが、それらを超えて、理性に生きることは、厳しく、狭い道のりである事を自覚しつつも、理性により、得られるだろう結論が、他への考慮を超えて、最上の結論だとして、実践していく、彼の結論はここにあった。

人々に、無知の自覚をもたせ、市民としての徳を広めるため、市民と対話・議論して、目覚めさせていったのだが、公衆の面前で、無知を指摘された、ソフィストや、権力者は、彼を憎み、訴えられ、裁判にかけられた。

彼は、裁判につき、事実の明示と、その後、厳正な法律に基づき、裁かれねばならない、そのために、裁判官の公平と裁判による、事実認定また、それに科する法の適用が正しくなければならない、また、裁判に関わったものが、真実を述べなければならない、と常日頃自覚していたため、彼の態度処し方は、被告と言うより、仕方の教師的であった。

 

「私がこの日までにしてきたことは、ポリスや市民にとって必要な正しいことであり、死刑、追放、公民権剥奪などの迫害を受けてもやめるわけにはいかない。わたくしは、公人としても私人としても、正しいことは何より重視して態度を変えない」とかれはいっている。しかし、」瞭然たる彼の態度は傲慢と思われ、裁判の結果、若者を惑わすとして、死刑と宣告された。

弟子は牢獄を訪ね逃亡を勧めたが、彼は脱獄することが正しいかどうかを考え、正しさによるとして、理性の4原則に照らして、たいわをすすめた。

最後に対話につまった、弟子に自分の考えを、とき聞かせた。

「この判決は不正である、ではなぜそれにも関わらず、この判決に従って死ぬのであるか。“それは国法を破る不正を犯さないためばかりでなく、不正な判決を下した正義の自覚のない市民たちに、彼らの不正を自覚させ、ポリスを本来の正しい姿に戻そうとするためである。”このことこそは、ポリスにおける自分の使命であり、この使命達成のためには、日頃説いてきたように、死など恐れてはならないのである。」

彼は死を得た、アテネがスパルタに破れて5年目、輝かしいアテネが、崩壊に向かいゆくときであった。

 

ソクラテスの愛弟子の、プラトンは、ソクラテスが、死刑にされたとき、多感な、30歳にもなってない時期で、驚愕の中にいた。

彼は師ソクラテスのなそうとし、いおうとしたことを、いくつかの「問答集」を作り上げた、知る限り、最も正義の人だったソクラテスを殺すほどに、堕落してしまった、アテネポリスを、立て直すため、“知恵を育み、魂を完成せよ”と、言ったソクラテスのなそうとし、教えを発展させた、アカデメイアという学園を、アテネ郊外に設け、哲学の進歩と、教育をおこなった。プラトンの考えは、観念論また、理想主義とされ、現代社会にまで影響を与えている。

 

知恵を愛することは、プラトンにとっても哲学的な立場から、物事の本質を求めることであった。では本質的なこととは何であろう。プラトンは知恵を求めることは、感情や理性の働きであって、感覚では物事の本質を得られるものではない。例えれば、三角形を描く場合(当時)完全な三角形は描けない、しかし、不完全な三角形の重ね合わせによって、完全な三角形を本質的に見ることができる。すなわち内角の和が二直角の、完全な三角形は感覚や訓練では(当時)捉えられないが、理性的な目では実感できる。実は我々は不完全な三角形を見る前から、理知によって、完全な三角形を知っていなくてはならない。感覚的なものを超えて、理性的なもので物事の本質を捉えることを、かれはイデアとした。

 

私なりにやらせていただいてます、有り難い。