見出し画像

哲人1

哲学1

これらの中心的な先哲は、世界の四大聖人とも、人類の教師ともよばれている。かれらの思想は、思想の原型として長い歴史を通じていまもなお、世界の字とびとに深い感銘と大きな感化をあたえつづけている。勿論彼らの教え思想は、それぞれ大きな特徴があるが、共通に言えることは、人間についての深い洞察と理想を求める強い情熱であろう。これらの先哲から人生と考え方の、原型を学ぼう。
ギリシャ人は、紀元前2000年頃から、バルカン半島を南下してギリシャ半島に侵入し、紀元前前10世紀ころには、エーゲ海の島々や小アジアの西海岸まで到達していた。
彼らは、小集団で、都市国家(ポリス)をけいせいしていた。
ポリスは、普通数千人からなる、村国家で、市民は何事につけ、国家規模の話し合いができ、法律は、民会でけっていできた。ここに、自由で合理的なギリシャ政治が発達するとともに、国家と市民の関連性に良き、調和が見られた。
このような生活と、気候風土の中で彼らは、静かに事物を眺め、それらを超えて、存在する、永遠普遍的なものや、客観的にそれらの原理的なものを、見出そうとする生活を見出した。
彼らは、それらをテオリアと呼び、それによって、幾何学などの、学問が生み出されるとともに、均整の取れた彫刻が創作され、実生活においても、秩序と調和がえられた。またテオリアが、真理そのものを追求する、フィロソフィア、即ち哲学的なものを、うみだしたのである。ギリシャ人の哲学は、自然の根源と成立、消滅の普遍的な原理を追求し。
ここに、根源は水であるとした、タレスを基とする、自然哲学が現れた。これが哲学的な諸々の始まりである。
紀元前5世紀になると、ソフィストと呼ばれる人達が現れ、人間や社会について研究をはじめた。その代表者プロタゴラスは、「人々が万物の尺度である。」として、誰れでも認められる普遍的な真理はない、と主張した。
こういうときに、ポリスの市民としての立場から、自然哲学者とソフィストの両者を批判し、自然哲学者がテオリアによって求めようとした真理の普遍性と、ソフィストがいだいた人間への関心とを結びつけ、人間のことに関する普遍的真理を求めようとしたのが、ソクラテスである。
ソクラテスの求めようとした真理は、正義や勇気などの徳の本質や、ポリスや法などの正しい知識であった。ソフィストたちも人生を生きる知恵を求めたが、それは結局、法や徳について、巧みに語る技術であった。しかしソクラテスには、あることについて、巧みに語るよりは、その事の本質を、理解することが、より重要であり。正しく知らねば正しく行えない、とした。
その、求めるものが人間に関しての普遍的真理である以上、それは個人として得られるものではなく、とくに、自らの無知に自覚することの重要さを、持ち、他者との会話・議論の中から、それぞれの人々の意見の合うを見つけ、そこに問題の本質をみようとした。

私なりにやらせていただいてます、有り難い。