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『シン・ニホン』を私はこう読んだ

『シン・ニホン』との出会い

私は世の中のほとんどのことはどうでもいいと思って生きてきた。しかし、これでも若い頃は、「よりよい世界を作りたい」などと真剣に考えNPOで働いていた。自分が学生時代に不登校になり世の中を生きづらい場所と感じていた経験からも、皆んなが自分らしくいられる世界をつくることに貢献したかった。そのNPOがある日突然、活動停止を発表し私は職を失った。「財政難のため」と説明されたが、調べてみたら上層部の覇権争いがこじれたのが本当の理由らしかった。そのとき、想いだけでは何も変えられない現実と、自分の無力さを痛感した。
それからの私は自分の半径30センチのことだけを考えて生きることにした。せめて自分が直接関わる人にはハッピーでいてほしいと思うけれど、それ以上のことなどできるはずもないと頭のどこかで思っていた。

『シン・ニホン』を読もうと思ったのは、『イシューからはじめよ』の著者である安宅和人さんが約10年ぶりに本を出版すると知ったからだ。ただ、それだけだった。
しかし読み始めたら、ずっと抱えていた自分のなかのモヤモヤしたものが一気に晴れていくような気がした。一人にできることは自分の半径30センチかもしれない。でも、「みんなの半径30センチ」が繋がったら未来は変わるような気がした。少なくとも「どうせ世の中は変わらない」と斜に構えているよりは良い未来が創れると思った。
以下は、『シン・ニホン』を読んだ私の感想である。

「生き方」を問われる本


大げさに聞こえるかもしれないが、『シン・ニホン』は生き方を問われる本なのだと思う。自分が生きる、この国この時代に今まさに何が起きているかが示され、それを改善する方法が説得力のある根拠とともに語られる。
そんなものを読んでしまったら、自分にできること、やるべきことを考えないわけにはいかない。つまりは生き方を問われているのだ。こりゃ大変な本に出会ってしまった。。。

『シン・ニホン』で著者は、この国の産業、教育、人材、予算配分など社会の様々な分野についてファクトを示した上で、危機的な現状をむしろ「伸びしろがある」(改善の余地があると私は解釈した)と表現し、そこから立ち直ることが可能である理由をディテールと共に示す。産業革命や黒船来航などの歴史的事実にまで遡るその説明は、非常に明確で、理にかなっており、ときに爽やかさすら感じる。

『シン・ニホン』を読んだ人と話していて、面白いことに気づいた。年代や立場を問わず、どの読者も「これは私に向けて書かれた本」だと感じているのだ。そして、「自分も何かしなくてはならない」という気持ちにさせられる。「残すに値する未来」を創るために何が必要なのか、自分はどんな選択をすべきなのかを考えずにはいられない。
一方で、この本にはこれだけ多くのファクトやディテールが示されているにもかかわらず、個々人が取るべき行動について「こうすべきである」といった具体的な指示は何ら書かれていない。私はこれを「自分で考えて行動しろ」というメッセージだと受け取った。その意味でも、これは生き方を問う本なのだと思う。

これからの時代を生きるために必要なこと


私たちは、この国の「いま」を生きる者として、何を求められているのだろうと考えながら、人材や人の育て方に関わる箇所を特に興味深く読んだ。

著者は、これから求められる人材について次のように語る。


これからの時代はむしろ、データx AIの持つ力を解き放てること、その上でその人なりに何をどう感じ、判断し、自分の言葉で人に伝えられるかが大切だ。その基礎になるのは、生々しい知的、人的経験、その上での多面的かつ重層的な思索に基づく、その人なりに価値を感じる力、すなわち「知覚」の深さと豊かさだ。ある種の生命力であり、人間力といえる。

AIが発達すれば、すでに正解が存在する情報を知識として大量に持つことの価値が下がることは間違いない。だとすると、これまでの知識詰め込み型教育で「優秀」とされた人とは違う人材が求められることになる。単に知識を取り入れるのではなく、新たな情報や経験を自分の中にある知識や理解とつなげることで「気づき」が生まれ人は成長すると著者は語る。
想像を超えるスピードで社会は変化している。新型コロナウィルスの拡大で、ありえないと思っていたことが、いかにあっけなく起こるのかを私たちは思い知った。先人たちが明らかにしてくれた情報を蓄積するだけでは解決できない問題が溢れる時代に私たちは生きている。
課題や問題を解決するために知識や情報は重要だ。しかし、「答えのない」問題に直面したときに、知識や情報は解決策を見出すための「材料」にしかならない。AIを含む持てるツールを駆使しながら、自分の頭で考え、他者と協力し、意志をもって創りたい世界をつくる能力が問われている。それはAIがどんなに発達しても、人間にしかできないことなのだと思う。そのためにも、「その人なりに価値を感じる力」である「知覚」を鍛え、「気づき」を育むことが不可欠だ。


それぞれの「風の谷」


この本の最後の章に、「風の谷を創る」という話が出てくる。著者の安宅さんは理想とするコミュニティ(場所)を「風の谷」と名付け、仲間を巻き込み、実現に向けての構想を描いている。目指す姿と価値観を憲章として掲げながらも「憲章は永遠のβであり、いつまでたってもver.1には到達しない。」と言う。
世界が変化するスピードは加速している。それに伴い創るべき未来も変化する。完成形はない。だからこそ、私たちは知覚を鍛え、気づき、思考し、とるべき行動を模索し続けるのだ。

この本のメッセージは、読んだ人がそれぞれ自分にとっての「風の谷」のようなビジョンを描き、考え、行動してほしいということなのだと思う。皆が自分らしく生きることを実現する世界、残すに値する未来を創るために「私」がやるべきことは何なのか、それを一人ひとりが見つけて実現してほしいと著者は訴えかけている。

この本の前文に私の好きなこんな文章がある。


もうそろそろ、人に未来を聞くのはやめよう。
そしてどんな社会を僕らが作り、残すのか、考えて仕掛けていこう。
未来は目指し、創るものだ。

「シン・ニホン」は、ここから始まる。 

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