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スタバとSNSとわたし

少し暖かくなった今日。

朝からアクティブにスタバに来てノートタイム。
家から歩いて行ける距離にスタバがあるのはありがたい。

ゆっくり、時々、ぼーっとしながらノートを書く。
とても贅沢な時間だ。

道路に面したこの店舗はガラス張りになっていて、私の視線の先には
朝の通勤ラッシュの車が忙しそうに流れていく。



スタバの桜シリーズ


最近の考え事といえばSNS、X(旧Twitter)のこと。

最近、Xから離れてみた。スマホからアプリを消したのだ。
といっても、まだ二日目だから劇的な変化が起こるわけない。
だけど、「タイムラインを見たくてしょうがない!ウズウズする!」といったような禁断症状のようなものは出ていない。

いや、嘘。

ほんとは多少、気になってる。
でも、そんな私に「いや、ここでXに戻ったら早すぎないか⁉︎」と言って
止めている私がいるのだ。そんなに力むこともないだろうに。

ただ、戻ったところで楽しい反面、モヤモヤするのが分かってる。
モヤモヤするなら見ない方がいい。心のために。

Xは見えすぎる。他のSNSと違ってリプライのやり取りが見えてしまう。
なんというか、他人の会話が勝手に入ってくるような感じ。
私はそれがなんだか疲れてしまうのだ。

それに私もなんだか惰性でやっていたように感じる。
親指で流れ作業のようにスクロールして、タイムラインを流し見て。


先日、noteの記事に温かいコメントをいただいた。
コメントをくださった方はきっと、私の書いた文章を丁寧に読んでくれたんだと思う。私のことを気遣ってくれるようなコメントだった。(私がそう思いたいだけかもしれないけど。)

私はこの丁寧さが欠けていたのかもしれない。

たかがSNS、されどSNS。

「文字の向こうには人がいる。」

誰かと繋がりを持ったなら、文字を文字だけとして見るのではなく、
文字の向こうには人のこころがあるっていうことを忘れないでいたいなと思った。

しばらくはXのない生活を味わってみて、今後どうするか決めていこうと思う。

 


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