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お弁当にトマトがなかった日

今回のnoteには
ちょっぴり涙の味も入ってます
苦手な方は
どうぞご注意くださいね
来てくださって
ありがとうございます♪

ありがとうございます♪ けいちゃん

(序)里帰り入院

思いがけない形で
島に帰ったのは
こどもが2歳のとき

わたしの「手術と入院」のために
里帰りして
こどもを実家に預けて入院

入院中
病院のカウンセラーさんに
助けを求め
わたしはそのまま
夫の住む家へは帰らなかった

実家の住所は
夫も知っているから
退院後
知人の空き家を借りた

こどもと始める
ふたり暮らし
「逃げるんだ」って
決めたんだ

術後なので
なかなか体も動かせないし
DVの後遺症もあったから
たいへんだった

収入もなかったのに
どうやって食べてたのかなぁ…?
わからない

でも もう
怖がらなくて良いんだよね♪

毎日
決まった時間に
ごはんを食べられる
親子でEテレを見て
笑う
もう
いつ笑っても
怒られない

そう
「もうダメだ」って思ったのは
あの日だった

きっかけはあの日

2歳半にもならないこの子が
おやつにケーキを食べていた
そして
照れくさそうに
ケーキを隠しながら
笑った
わたしにはとても
可愛く見えた

そのとき
「なんで笑うんだ!」って
怒ったんだよね…
昼間だったけど
ビール飲んでた
「お父さん」が

怖くて怖くて
ふたりで泣いてあやまった
けれど
「お父さん」は許してくれない

わたしが一緒にあやまってると
「ひとりであやまりに来させるように」
と言って
布団にもぐってしまったから…
泣いてるこどもを
「お父さん」の寝ている部屋へ
向かわせることしか
できなかった

こどもも泣いた
わたしも泣いた

ー「お父さん」は
わりと自由がきく仕事で
ほとんど仕事をしていなかったー
ように
わたしは記憶している

そのあとすぐ
こどもにチックの症状が出た
何度も何度も
まばたきをする

やっと出はじめた
可愛い言葉が
うまく出て来なくなってゆく

「お父さん」が留守の日に
相談窓口を探し
児童保護施設に電話した
すぐに迎えに来てくださって
「DVだから逃げるしかない」って言われた

その日は 一旦
帰宅して
その後 何回か
相談に通ううちに
わたしも体を壊して
入院、手術が必要になった

実家に帰って治療を受けることにした

新幹線(里帰りの日)

里帰り入院

わたしがこどもを抱いて
新幹線に乗るとき
「夫」は休日だったけれど
送ってくれるわけでなく
荷物を持ってくれるのでもなく

だから思った
「きっとわたしは
もうここには帰らない…」
そんな
予感はあった

具体的に
どんなふうに?
暮らしがかわるのか
実感できないままに
入院し
相談して
退院して
隠れ家を見つけた

もう「お父さん」を
怖がらなくて済む

「お酒を飲んだお父さん」の
顔色をうかがわずに済む

お酒って
飲むのは良いけど
飲まれたらダメなんだなと思う

こどもと
ふたり暮らしを始めてからは
夕飯食べて
お風呂に入って
絵本読みながら
ふたりで寝た
ちょうど冬になり
暖房ほとんどなかったから
夜8時には布団に入った

少しずつ…
しあわせになろうね

保育園 幼稚園

わたしの入院時には
実家近くの保育園で
昼間こどもを預かってくださった

知人の空き家に移ってからは
幼稚園の方が近くなり
年中さんから転入した

年中さんからだけど
入園式があって
ふたりとも
ドキドキした
担任の先生は
やさしい「お兄ちゃん先生」

幼稚園では
しばしば
お弁当が必要で
ちょっとたいへん

おにぎり からあげ
ミートボール
みかんの缶詰
プチトマト…
こどもの好物ばかり
同じメニュー

まだわたしの
体が回復してなくて
冷凍やレトルトの
お世話になった
助かった♪

あっためて
詰めるだけのお弁当で
日々 乗り越える

可愛いお弁当
持たせたいけど
「キャラ弁」作れない
「せめて可愛く…」と
アンパンマンのピックを買った

「200円くらい」のピック
当時のわたしには
高かった けれど
洗って繰り返し使うんだ♪と
ちょっとぜいたく

ある朝 トマトがなかった

ある朝
なぜか
トマトがない

プチトマトは常備してた
こどもの好物で
貴重な野菜

でもなぜか
その朝 切らしてた

うちには
よぶんな食材はなくて
やむを得ず 初めて
1日だけ
「お野菜のないお弁当」を持たせた
うちに
野菜がなかったから…

園から帰宅して
こどもが言う
先生に
「野菜がない」って
怒られたって

ミートボールにさしてた
アンパンマンのピックを
「こんなもんいらんのや」と
はずされた って

あると思ってたトマトがない

いつもお野菜には
気をつけてた
でも うち
余裕なくて…
「こどもが食べられるもの」と
お米だけ
気をつけて買っていた

それでも
「ごはん 主菜 野菜」
そろえようとしてた

「スーパーの安売りで
20円くらいで
エビフライ
ひとつ買って
こどもには身を食べさせて
わたしは
しっぽをしゃぶって
おかずにした」

…は
いまや我が家の
武勇伝になってる

「野菜のないお弁当」
先生にはずされた
アンパンマンのピック

たった1回
トマトがなかった朝

「わたしに言ってください」

「お弁当に野菜がない」
のは
確かによろしくない

でも
どうして
わたしではなく
こどもに言うのかな…?

言った先生は
預かり保育担当の先生
わたしは連絡帳に
「こどもにではなくわたしに言ってください」
と書いた
預かり保育の先生も
担任の先生も
園長先生も
読んでくださると思う

数日後
その先生とお会いしたとき
「ごめんなさい」
と言ってくださった

" ごめんなさいと言ってくださって
ありがとうございます "
そう、いまでも先生に
お伝えしたい

だけどその後わたしは
アンパンマンのピックを
使えなかった
もちろん
捨てられたわけではなくて
お弁当箱に残ってたけれど

もうこどもに
怖い思いをさせたくないから

卒園と いま 

プチトマトを
切らさないように
気をつけて 無事
幼稚園のお弁当
卒業

その後もときどき
小学校のお弁当日に
同じメニューが登場した


そしていま

中学生になったこどもと共に
守られている
手当や年金も
受給できることになり
つつましいけれど
毎日笑顔の
母子の家庭で過ごせている

感謝と
ときどきの落ち込みを
経ながら
時は優しく流れる

ここnoteでも
つたないお絵描きを
見ていただいて
癒される日々を過ごす

ありがとうございます
~感謝~

(結び・願い)「野菜のないお弁当」

保育園 幼稚園
学校の先生方

もしも
こどものお弁当に
野菜が入ってなかったら
「野菜を入れなさい」の前に
「どうして入ってないのかな?」と
たずねていただけますか?

もしかすると そこには
SOSの合図
困窮家庭
保護者の病気
経済的困難…など

危機が隠れている
かもしれません

いまでも
忘れられないんです
「お弁当にトマトがなかった」
あの日

ホントはトマト大好物♪

読んでくださってありがとうございます

読んでくださって
ありがとうございます
いまはまだ
ちょっと痛い
思い出です

教育現場の先生方や
子供に関わるみなさんに
「野菜のないお弁当」への
新しい視点を持っていただければ
ありがたく存じます

こどもたちを巡って
つらい事件をたびたび耳にします
もしもこのnoteが
少しでもヒントになりましたら
とてもうれしく
感謝申し上げます

2023/ 7月 けいちゃん

いろんなことが
あったけれど
ふたりだったから
今がある

もしも私だけならば
きっと今でも
ガマンしていた
「この子の命を守りたい」
そう思えたから
ふたりで
いまの基盤を作れたんだ

そう
神さまとわが子に
感謝しています

いつかきっと
 ーもしかすると今すでにー
「良かった」と
思えるような
気がします

※誤字脱字など
お気づきの点がございましたら
お知らせください
m(__)m

みなさま ありがとうございます♪
小さい頃の寝顔☆
お散歩するわたし♪
noteを始めた頃
初期のタッチの
「おにぎり」
見てくださって
ありがとうございます
けいちゃん♪

ご訪問ありがとうございます toi toi toi ♪良いことがありますように (*^^*) よろしければ足跡がわりにスキ♡ぽちお願いします ( ^-^)ノ∠※.:*:・°☆↓しりとりどうぞ♪ https://note.com/keiko0131/n/n362d2d406ca1