「かくかくしかじか」(著:東村アキコ)を読んで
ここで大々的に申し上げるが、私は東村アキコ先生が大好きだ。
読みだすと止まらない。
私の脳内会議は全て作品さながらのスピードで進んだり急ブレーキしたり壁にぶつかったりする。
東村先生の作品は人生の縮図であるといっても過言ではないと思っている。
宮崎出身なのもよい。
私は福岡出身、父は鹿児島出身。
エコでもエゴでもどんとこいの精神で大いに九州をひいきする。
そんな私が出会ってしまった「かくかくしかじか」という作品。
https://www.amazon.co.jp/かくかくしかじか-1-愛蔵版コミックス-東村-アキコ/dp/4087824578
物語のテンポは、たとえるならば、宮崎の太平洋の海の感じ。
全体でみると広くて穏やかなのだけれど、サーフィンできるくらい起きている波は意外と大きいんだ。
作者の半生と銘打った、「先生」との話。
スパルタの先生は、いつも主人公に「描け」と言う。
その言葉が主人公にどんな力をもたらしたのかは、是非この作品を読んで知ってほしい。
多分、「読む」先にも、大切な何かがあると思うから。
さて、自分語りを始めます。
私の人生にも、かつて、「書け」と言い続けた人がいました。
母親です。
そして私は途中で筆を投げて音楽を始めました。
25歳になって、いろんな悔しい出来事があって、もう一度小説で賞を取ろうと一念発起したんですが、これが難しい。
ええ。私は天才だと思っていたのですが、100本泣きながら書いていただいた賞が2本。
周りはちやほやとしてくれましたが、私は全く天才じゃなかった。
もっと文章が上手な人はたくさんいた。
でも不思議ですね。
それから書くことを少し休憩しても、私の中には筆が残っている気がするのです。
悔しいなあ、今、私、理不尽に泥をかけられているなあ、誰も助けてくれないなあって状況で、ひとりでも大泣きしながら机に向かって、少しずつ、受からなくても受かってもいいから文章を書き続けているときに、私は、「かくかくしかじか」の主人公と同じような気持ちになりました。
何度も言うけれど、阿刀田先生主催する賞で佳作をいただいて、とってもほめてもらったことがあります。
その阿刀田先生は、母が好きだった小説家だったものだから、とっても嬉しかった。
でも、母親は亡くなった後だったから、心の中でずっと叫んでいた。
「お母さん、あの阿刀田先生から賞をもらったよ!」
あの賞はしばらくして終わってしまったけれど、佳作であれだけ飛び跳ねて喜んだのは私だけじゃないだろうか。
お母さんのタイミングとは少し違ったけれど、「書け」に死ぬほどしがみついた出来事は、私の生命力になっています。
きっと、みんなも、いろんな「描け」があると思う。
部活の「蹴れ」「走れ」かもしれないし、「勉強しろ」かもしれない。
時代錯誤だと言われるかもしれないけれど、もしあなたたちがそれを一生懸命行動したのなら、それはきっと気づかないうちに生命力になっていると思う。
あくまでも個人の見解だから、「私は本当に嫌だった」と、気持ちを傷つけてしまったらごめんね。
人生、頑張らなくてもいい。
頑張らない方がいいに決まっている。
無理せず我慢せず、全員が好き勝手して調和する世界のほうが、絶対いい。
でも、なぜか、人生、頑張らなきゃいけない時がある。
「嘘だろ…」
というような身体の力がどっとぬけるような絶望的な状況ってままある。
そいうとき、「かくかくしかじか」を読んで見て欲しい。
そして、布団から起きるのめっちゃ頑張ったとか、頑張ったこと一つ思い出してほしい。
頑張ることは強制じゃなくて、選択。
気が向いたら選んでみて、命の糧にすればよいと、私はこの本を読んで思ったな。
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