お裾分け

あまり外に出たがらない私が、
この1ヵ月、毎日のように人間と会話をしている。
とんでもないことだと思う。

身体も壊すことが多いけれど
( 免疫系が、がくっと落ちたタイミングがあった )
まあ、ははっと笑うことは、
私にとってはいいことであると信じている。

飲み屋によく行く。
よく行くといっても、
私はいろんなところをはしごするタイプではないから、
数軒の行きやすいところだけに入っていく。

沖縄タウンのBECCHI、西荻窪のしんこぺの2軒くらいだったのだが、
最近は、
新代田のえるえふるに久しぶりに行ってみたり、
下北沢ERAがやっているクラフトビールバーに行ったりもしている。
環七バーというsyrup16gを流せるいい感じの店も見つけてしまった。

人と触れ合うのは楽しいけれど、
大学も行かねばならんし、
ちょっとだけ使ったお金もあるので、
財布の紐を絞らねばならぬのが苦しいところだが、
居場所や知り合いを見つける機会が増えるというのは、
意外と悪くないことなのだなと思う。

社会に出たら、いろんな人の目や建前、足元を気にしなければならない。
私のような、
「くいっぱぐれのないように」
といった、腹の加減で動いているような人間は、
「いざとなったら職をつないでもらおうではないか」
というやましい機会を増やそうとしてしまうので、
心理面の安定を図るにはちょうどよかったのかもしれない。

そういえば、渋谷の嚔〜アチュー〜という立ち飲み屋も教えてもらった。
先述のBECCHIという店で、
ワンポイントのよいかんいじのタトゥーが腕に複数入ったお兄さんからのすすめだった。
10代のころ、楽器屋でバイトをしていたころは
我が物顔で歩けた街に久しぶりに落ち着ける場所ができた心地。

今まで、声をかけてもらっても、
素通りしていた環境に飛び込むことができるのは、
そこにいる人たちが、自分となんだか同じ匂いがする気がしたり、
笑ったとき同じような眼をしていたり、
大丈夫っていう春みたいな空気が漂っていることに気づくことができたからだと思う。

もしかしたら、
私が寂しがりやでひとりぼっちが耐え切れないタイミングなのかもしれないね。

前置き所の文量じゃない内容になったが、
そういった行きつけのお店には、
私はよく、お裾分けをもっていく。

最近は、頂き物の花をたくさんの人に見て欲しくてBECCHIに持っていったり、AKIRAが好きだというERAの女性店員に、AKIRAセル画展の特典を渡しに行ったり。
別の日には、友達がERAで働いているから、実家から送られてきた大量のバームクーヘン持っていき、ライブハウスLagunaの店長に、もう読まない古本をあげたりした。

お裾分けというには少し違う行動なのかもしれないけれど、
そういう、自分の余分・余力を誰かにお裾分けするついでに、
会いに行ったその人と話して、軽く「ははっ」と笑いあえるのは面白いことだなと思う。

私の周りがそういう人たちだけになっていって、
本当に未来の私が幸せになるといいな。

代田橋に引っ越した意味は、そういう空気を身にまとうためかもしれない。

それでも、ゆっくりじっくりと、
飲み屋のスピードではない速さで
毎日を過ごすことのできる人は欲しくなるもので、
これまた、ゆっくりじっくりと、
すがるように手を合わせながら、
私は一人でクリスマスを迎えそうな気配を感じている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?