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わたしたちは「存在」がどういう意味のものか知っている~ハイデガー『存在と時間』序説第一章の分析

わたしたちは「存在」がどういう意味のものか知っている
~ハイデガー『存在と時間』序説第一章の分析

http://miya.aki.gs/miya/miya_report47.pdf

できました!  短いレポートですが、これから『デカルト的省察』と併せ、少しづつ進めていきたいと思います。(脱線することもあると思いますが)

『デカルト的省察』は最後までやりたいですが、『存在と時間』はどうかな・・・? 

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 本稿は、ハイデガー『存在と時間(上)』(桑木務訳、岩波書店)の序説第一章(17~39ページ)の批判的分析である。ハイデガー理論の前提そのものの否定、「存在論」が虚構であることを示すものに他ならない。

<目次> 
1.存在物とは知覚される、されうるもの (1)
2.知覚しているからこそ調査研究できる (2)
3.存在を問う存在を設定することは循環論理・循環論証である (4)
4.「現存在」も「実存」も学問に先立つものではない:存在論という“虚構” (6)
5.「私」は「ただたんに他の存在するものの間にだけ現れるような、存在者」である   (7)
<引用・参考文献> (8)

※ 1月15日に5章を付け加えました。

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<引用・参考文献>
ハイデガー『存在と時間(上)』桑木務訳、岩波書店、1960年
フッサール『デカルト的省察』浜渦辰二訳、岩波書店、2001年
西田幾多郎『善の研究』岩波書店、1950年

以下、本稿の内容に関連する拙著です。

<動機や理念について考えるとはいかなることなのかについて>
価値・理念について議論するとはどういうことなのか
~「なんのための」社会学か? の批判的検証を中心に
http://miya.aki.gs/miya/shakaigaku1.pdf

<言葉の意味と機能的意味の違いに関して>
『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』第Ⅱ部の批判的分析
~意義・価値理念と事実関係、法則と個性的因果連関、直接に与えられた実在と抽象に関するヴェーバーの誤解
http://miya.aki.gs/miya/miya_report23.pdf
・・・の第Ⅰ章(6~11ページ)

<言葉の意味の究極的な説明できなささについて>
哲学的時間論における二つの誤謬、および「自己出産モデル」 の意義
http://miya.aki.gs/miya/miya_report17.pdf

<プラトン・ソクラテスの詭弁について>
「イデア」こそが「概念の実体化の錯誤」そのものである
~竹田青嗣著『プラトン入門』検証
http://miya.aki.gs/miya/miya_report11.pdf

<「本質」という倒錯>
竹田現象学における「本質観取(本質直観)」とは実質的に何のことなのか
http://miya.aki.gs/miya/miya_report37.pdf

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