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廬山シリーズ②ーー陶淵明のふるさと「帰去来辞」

廬山シリーズ第二弾です。

陶淵明のふるさととして知られる廬山、その陶淵明が生まれたのは、六朝時代の東晋、365年のことでした。

陶淵明(陶潜ーー淵明は字)は、廬山の麓、柴桑(さいそう)という所に生まれ、29歳の頃から何度か役人生活を経験しましたが、長続きせず、41歳のときにとうとう役人を辞めてふるさとに帰ってきました。

「帰去来辞」は、この時期に作られたものです。

長い文章ですので、冒頭部分のみをご紹介します。

  帰去来辞 Guīqù lái cí   

         陶淵明  Táo Yuānmíng

帰去来兮。          Guī qù lái xī

帰田園将蕪。胡不帰。     Tiányuán jiāng wú。  Hú bù guī。

既自以心為形役。       Jì zì yǐ xīn wèi xíng yì。

奚惆悵而独悲。         Xī chóuchàng ér dú bēi。

悟已往之不諫、         Wù yǐwǎng zhī bù jiàn,

知来者之可追。         Zhī lái zhě zhī kě zhuī

実迷塗其未遠。       Shí mí tú qí wèi yuǎn。

覚今是而昨非。         Jué jīn shì ér zuó fēi。

・・・後  略・・・

【書き下し文】

帰りなんいざ。

田園将に蕪(あ)れんとす。

胡(なん)ぞ帰らざる。

既に自ら心を以て形の役(えき)と為す。

奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として独(ひと)り悲しむ。

已往の諫(いさ)められざるを悟り、

来者の追う可(べ)きを知る。

実(まこと)に塗(みち)に迷うこと其れ未だ遠からず。

今の是(ぜ)にして昨の非なるを覚(さと)る。

【語句】

*形役・・・肉体に使用されるもの。「形」とは肉体。

*惆悵・・・恨み嘆く。

*已往・・・過去

*来者・・・未来

【桂花私訳】

さあ帰ろう。

田園は今にも荒れ果てそうになっている。

どうして今まで帰らなかったのか。

自分で自分の心を肉体の僕(しもべ)にしてしまっていた。

どうして恨み嘆いて、一人で悲しんでいるのか。

過去を改めることができないことはわかっているし、

未来を追い求めて行くべきだということも知っている。

本当に自分は道に迷ってしまったが、まだそれほど迷い込んではいない。

今の考え方こそが正しくて、昨日までの自分が間違っていたことを悟ったのだから。

*******

高校時代に習った時に、「帰りなんいざ」というフレーズが印象的で、心に深く残っていましたが、陶淵明自身に、「仕事が嫌で嫌で、やっと故郷に帰ってきた!」という思いがあったとは、理解していませんでした。

5世紀初めの中国、東晋の時代でしたが、陶淵明が56歳の時(420年)には、その東晋も滅亡してしまいます。

彼個人の思いと混乱した時代背景とが彼を田園生活に向かわせたと言えるのかもしれません。

また、陶淵明の「桃花源記」という文章も大変有名ですので、ご存じの方も多いことと思います。

「桃花源記」の舞台になっているのは4世紀後半の武陵(現在の湖南省)ですが、一人の漁師が、桃花の林に囲まれた渓流の奥に人里離れた農村を発見する話です。

この村の人々の祖先は、何と秦の時代(紀元前3世紀)の混乱を避けてその場所に移り住み、外界との交流をすることなく平和に暮らしてきました。

「桃源郷」という言葉がいわゆる「ユートピア(理想郷)」という意味で使われるのは、この「桃花源記」が由来となっています。

人が理想を語るとき、理想からはほど遠い現実に身を置いているというケースがよくあります。陶淵明にとっての「桃源郷」も役人生活の現実からはかけ離れた世界だったことでしょう。

しかし、陶淵明には温かく迎え入れてくれるふるさとーー廬山がありました。

次回は陶淵明が廬山を詠んだ詩「飲酒」をご紹介したいと思います。

【参考書籍】

① 『精選古典Ⅱ 漢文編』明治書院

②『漢詩入門』 一海知義著 岩波ジュニア新書

③『新国語総合ガイド(四訂版)』

 井筒雅風・樺島忠夫・中西進共著    京都書房            

④『中国古典紀行2 唐詩の旅』 講談社

⑤『中国の二〇〇〇年ーー詩と旅のガイド 中国幻想行』  森本哲郎著     角川選書

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