自殺をしたい若者を生み出す社会

死にたいが死にきれず、死刑になりたい。だから人を二人以上殺める。

京王線刺傷事件のジョーカーはそう言ったらしいが、こんなことを若者に言わせる社会のほうの問題を、テレビや記事でどれだけ取り上げただろうか。

これまでもこうした、絶望の言葉を言って他人を殺傷してきた怪物がいた。この怪物を特殊な存在として排除し、まるで自分たち(大人)の責任がないかの如く無責任な態度で、自己責任論をぶつ連中。そんな大人ばかりのように見える。

こんな社会をつくってきたのは、紛れもなく我々大人だろう。絶望の言葉を言って哀しく憐れな怪物となってしまった若者を見て、涙のひとつもこぼせないなら、そんな人間は大人でもなんでもない。ただのエゴイストである。

どういう経緯かはともかく、この社会に絶望してしまい、生きていたくないとまで思いつめ、ついに他人を殺めて死刑になりたい。そんな若い子を生み出したのは、この冷たい社会の責任がどれほどあるだろうかと考えてもみない大人たち。この手合いが投票して、どういう政治家を選んだのか。

奇しくも衆院選投票日に、この哀しい事件は起きたのだ。

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