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ウジェーヌ・アジェという写真家について

ウジェーヌ・アジェは19世紀後半〜20世紀前半にかけて活動したパリの写真家だ。
アジェを通らずして近代写真は語れない程に写真史では超有名な巨匠の扱いである。
しかし生前のアジェといえば「芸術家のための資料」として撮影した写真を資料として売り歩き、所謂表現としての写真の発表は全くと言っていいほど行っていなかった。
そんなアジェの写真は当時のシュルレアリスムの芸術家達の目に留まり、アジェの意思ではなく他者から掬い上げられる形で例外的に芸術紙への写真掲載を行ったりもしている。
ここら辺の経歴はググれば出てくるので興味がある方はWikipediaなど参照していただきたい。

アジェ自身が写真について語っている記事は読んだことはない。
アーティストと呼ばれるのを拒んでいたことだけは有名だ。
先に言ったように芸術家として写真を発表していたわけではないので写真について誰かに語るということもほぼ無かったと予想できる。
他の写真家とは交流せずひたすらに、黙々とパリの街を撮り歩いていたのだろう。

アジェの写真は静かだ。
だが「静かさ」を撮っているわけではない。
「静かさ」を撮っている写真、例えば澄んだ湖や人のいない廃れた空き地、朝方の都会の片隅などがテンプレだろうか。
こういったSNSにでも溢れていそうなエモい写真は作者の意図(言葉と言ってもいい)が透けて見えるので逆に耳障りでうるさい。
勿論アジェの写真にも上記のような被写体は度々登場する。
しかし見ている側の心情を撮影者の言葉でもって駆り立てるような誘導は感じない。
こういったところにアジェが表現者を名乗らず、資料屋を名乗っていた理由がありそうだ。
今でこそSNSやギャラリー、画廊に至るまで巷に溢れかえっているが、詰まるところ表現者は鬱陶しい。
何が鬱陶しいって、さり気ないものから激しいもの、綺麗なもの、汚いもの、ふざけたもの、計算されたコンセプトのあるものまで主張の固まりだからだ。
対してアジェの写真は基本的に沈黙を貫いている。
かといって「しのごの言わず喋らない奴がカッコいいんだ」的な主張も感じない。
アジェの写真は資料として撮られていたからこそ、この主張をギリギリ回避することができた。
ギリギリと言ったのは、アジェには主張は無いが表現欲はあると思うからだ。
本当にただの資料写真ならここまで批評家や芸術家がアジェの写真を見て騒ぎ立てることは無かったはずだ。
きっとアジェは写真を美しいと思っていたに違いない。


アジェが写真を撮り始めるのは40歳ごろだ。
それまでは演劇をやったり絵を描いたりしている、そしてこれらは特に実り無く断念しており、その後にようやく写真を撮り始める。
どうだろう?根っからの表現者気質ではなかろうか?
それとも根っから表現者に向いてない人間が表現者を志してしまったワナビーの成れの果てに、挫折とともに写真に辿り着いたのだろうか。
絵や芝居では食えなかったから写真の商売を始めたと想像することも容易いが、いずれにせよ表現について、芸術について考えていなかったわけがないだろう。

アジェが表現としての写真を避けた理由。
それは恥ずかしかったから。
これはどの評論にもおそらく書いておらず完全に私見なのだけれど、近代化に向けて失われつつあった古い街並みにどうしても趣向が傾いてしまい、先鋭的な表現に興味が持てなくなっている状態を表現者として恥じた結果、アジェは表現の世界から距離を置いたのではないか。
最新の動向を読み取り先鋭的な作品を生み出さなければならないという強迫心理のようなものは表現気質のある者には実に多い。
2023年、今現在の写真表現で例えるならAIを使って映像も使って紙じゃない異素材に写真を転写して、といった今までにない最新感のある手法やコンセプトを必死で探し回っているような感じだろうか。
アジェはそういった方向性には乗らなかった。
いや、乗れなかったのかも知れない。
そして、表現の舞台から落ちこぼれてしまった自分を恥じて「資料」と称して芸術の世界に背を向けたのかも知れない。
これは私の勝手な想像だし、何の後ろめたさも恥もなく堂々とパリの街並みを資料として記録することに取り組んでいたのかも知れない。
実際のことは分からないが、ただの資料というには画面構成が鋭すぎるし、イメージに惹きつけられるものがあるのは事実だ。

イメージについて。
アジェの写真には人がほとんど写っていない。
市井の行商人などを撮ったポートレートもあるが多くは町並みや店先、庭園、建築の写真で、私はそういった人気の無い写真にアジェの凄みを感じる。
これは何といったらいいか、写真家の中平卓馬はその無言に佇む被写体を指して「裸の事物本来のありのままの姿」を見たりするわけだが、私はアジェの写真を昼間に撮られた夜の写真だと思うわけだ。
人々が寝静まった深夜、世界はどのように存在しているのか、眠っている間はそれを見ることはできない。
だから深夜に街に繰り出し、人が全く見当たらない街並みを前にするとアジェの写真を思い出す。
しかし、その状態だと当然だが空は暗く、景色もハッキリと見えるわけではない夜の世界だ。
アジェはこの夜の世界を昼に出現させている。
感度の低い大判カメラによる長時間露光で街行く人の姿は消し飛んで人気の無い街がなぜか白昼に出現してしまう。
これがアジェ写真の奇妙さであり現実だけど、そのまま見たらこうはならないよなというポイントだ。
昼と夜の同時出現といえばシュルレアリスム画家ルネ・マグリットの「光の帝国」が有名だが、アジェの写真の中にシュルレアリスムを感じるのはこういった二つの時間が一つのイメージに定着しているところにあるのだろうか。

時折、思い出したようにアジェの写真を眺めたくなるのは、自分の知らない時間と自分の知っている時間の間を往復して、知らない時間が知っている時間へ、知っている時間が知らない時間へと溶け合う時に「何かを目撃してしまった」衝撃があるからなのかも知れない。



生前、ほとんど何の脚光を浴びる事無く、不器用なまでに朴訥に表現媒体と向き合った者に小説家のフランツ・カフカがいる。
アジェの撮る写真は事物の迷宮とも言えるカフカの小説に似ていると思う。
両者に言えるのは目の前の対象に実直であるが故に対象そのものの異様さが表れている点だろうか。
カフカは若くして結核で亡くなる際、友人に自分の小説を全て燃やすように頼んだという。
自分の小説が誰かの目に触れることを酷く恥じたのだ。
アーティストと言われるのを拒んだアジェとどこか重なるような雰囲気があるのだ。

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