働き方に関する本を書いています。

2021年3月に出版予定です。

ここでは、その内容を順次ご紹介して行きます。

●伊能忠敬の生き方

 私が尊敬する人の一人に、江戸時代に日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬がいます。忠敬は17歳のときに、佐原村(現在の佐原市)で酒、醤油の醸造、貸金業を営む伊能家に婿入りし、伊能家を継いで商売に従事しすることになります。忠敬は自らの商売を大きくする一方、名主、村方後見として地元に貢献しました。1783年の浅間山噴火とそれに伴う天明の大飢饉では、年貢を全額免除してもらい、貧民救済にも力を入れました。1794年には隠居して商売を息子に譲ったあと、1795年、50歳にして江戸に出て、19歳年下の暦学者 高橋至時の弟子になり、暦学や天体観測を学びます。

『寿命図鑑』(いろは出版)によると、江戸時代は、子供が小さいうちに亡くなるなどの事情で、平均寿命が32歳~44歳だったと言われています。そのような時代に50歳というのは立派な老人ですが、そのような年齢になってから江戸に出て、一人勉強を始めたとは驚くばかりです。その後忠敬が全国を歩いて、天体観測、測量を行って地図を作製したのは皆さんよくご存知の通りです。

 忠敬が蝦夷の第一次測量を行った際、蝦夷地取締御用掛の松平信濃守忠明に申請書を出しています。その中には、「私は若い時から数術が好きで、自然と暦算をも心掛け、ついには天文も心掛けるようになりましたが、自分の村に居たのでは研究も思うようには進まないので、高橋作佐衛門様の御門弟になって六年間昼夜精を出して勉めたおかげで、現在は観測などもまちがいないようになりました。」と書かれています(今野武雄『伊能忠敬』、社会思想社・現代教養文庫)。

 このことから、忠敬は若い頃から学問に関心を持っていたが、その時は商売に専念し、商売を息子に譲ってから自分の本当に好きなことを始めたということが分かります。このことから、自分がやりたいという思いを持ち続け、それを実行する時期を待ち続けるということを自ら実践した人であり、多くの方のお手本になるのではないでしょうか?

 昭和女子大学理事長の坂東眞理子さんも同じような生き方をされています。坂東さんは大学卒業後総理府(当時)で勤務を始められました。56歳で退職されるまで公務員生活をされていました。若い頃は公務員に向いていないと悩みながらも、白書や報告書を書きながら、書くことが好きだ、この方向で仕事ができるかなという思いを温めておられたのです。(読売新聞、2017年11月14日)

 昭和女子大に移られた後に書かれた『女性の品格』(PHP文庫)が300万部を超える大ベストセラーになったのです。坂東さんは、「こんなはずじゃなかったと思うことが、人生には必ず起こります。その時にもう一度、立ち上がる。諦めず、自分を勇気づける力を持って欲しい。意外な人が道を切り開いてくれることが、往々にしてあるのです」とおっしゃっています。とても勇気づけられる言葉です。

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