見出し画像

ジャズトランペットで師事している原朋直先生のアドリブの最初の音の音色は、書道の一筆目のように鮮烈だ

幸運なことに、日本を代表するジャズトランペッター原朋直先生のレッスンに毎月通っている。もう15年ぐらいたつんじゃないだろうか。月に一度間近で原朋直先生のラッパの音を聴くだけで幸せだ。また、音色への志向に大きな影響も与えてもらっている。

アドリブって、ジャズにある程度慣れてくると、ある意味それなりにできてしまうかもしれない。特にビーバップ系のものは2-5-1のイデオムをそこそこ鳴らせれば、なんとなくさまになる。

しかし、なんとなくさまになる、のと、心に響くアドリブ(瞬間的な作曲)とは雲泥の差であって、これが毎月レッスンで嫌になるほど思い知らされることなのだった。

まず、曲ありきだ。(なんとなくさまになるだけだけのひとにはコード進行しかない)。曲のメロディ、できれば歌詞まで理解して、その曲のフォルムの中で、自分が作曲をする。それがジャズのアドリブだ。どんなストーリーになるのか、どんなことが描かれるのか、何が展開されるのかを観客も共演者も、そして自らもわくわくしながら聞いていく。これは「コード進行を処理するタイプのアドリブ」とは似て非なる物だ。

レッスンで毎回思うのは、原先生のアドリブの一音目。そのタイミング、音色、そして曲における音程(ディグリー)、この鮮やかさだ。前は小説における最初のフレーズ「トンネルを抜けると雪国だった」みたいな、すごさだと思っていたが、もっとすごいことに最近気づいた。トンネル、という意味を成す語になる以前の、書道でいう一筆め。意味以前の一音色目から、もう世界が始まっていて、これがクラクラするほど素晴らしい。

翻って私を含める生徒側は、「まあそのー」とか、「えっと」みたいに、間が抜けた意味のない間投詞、繋ぎの言葉から始まる。そんなところから美しいストーリーが展開するはずはないし、意味のないハナモゲラみたいになる。

ああ、道はまだ、遙か遠い。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?