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第二話 はじめての留置場は廃墟のようだった

前回の記事をお読みでない方は、こちらからどうぞ。

窓も時計もない殺風景な部屋のなかに、机と椅子だけが置いてあった。

取り調べをする刑事と補佐役の刑事の二人が、次々と僕に質問を投げてくる。

どのくらい時間が経ったのか、まったくわからない。

「知らないってどういうことだ。いつまでもその言い訳が通ると思うなよ」

僕の向かい側に座る刑事が、飽きれた声で言った。

当初、僕は兄貴たちから、口を割るなと指示されていた。

何も知らないと言い張っていれば、そのうち釈放される、と。

「約束を守らなかったときは、どうなるかわかるよな」

これまで何度も耳にしてきた兄貴たちの言葉に、僕は何も感じなくなっていた。

その彼らとは、二度と会うことはないだろう。

「いや、知らないったら、知らないです」

「しょうがねえな。次のところに行ったらそんな話は通用しないからな」

そのとき僕は、自分が移送されることを知った。

最後に事件を起こした場所から、百キロほど離れた街に行くという。

到着は朝の五時と聞いて、今は夜中の零時ごろなのだと理解した。

「おまえ腹減ってないか? かつ丼は出ないけど、自分のお金出すなら買ってきてやるぞ」

僕は刑事から手渡された自分の財布を開き、千円札を出した。

そして、コンビニで買ってきてもらった弁当を口に入れながら、刑事の計らいでもらったお茶を飲んだ。

ご飯を食べるのは、ちょうど1日ぶりだった。

お腹が空いているはずなのに、空腹を感じない。

食べても、飲んでも、味がわからないし、お腹はいっぱいにならなかった。



強烈な眠気が襲ってきたころ、ようやく目的の街に到着した。

荷物検査を受けると、服を脱ぐように言われた。

物を隠していないか確認するらしい。

「両手を壁につけて、お尻を突き出して」

しかたなくその言葉に従い、僕は尻を突き出した。

肛門のなかに物を忍ばせていないか、確認するためだった。

ひとによっては「そこ」に物を忍ばせていることがあるらしい。

僕は何も忍ばせていないのだから、別に見せなくたっていいだろうと思った。

収容前の準備が終わり、僕は女子房に連れていかれた。

その留置場は男女混合で、房は螺旋状に横並びになっていた。
コンクリートの壁で囲まれていて、隣の房の人の顔や姿が見えない仕様だ。

そのうち、女子房は入口付近に二房しかなかった。

留置場内を覗くと、まるで街外れにある廃墟にしか見えない。

― 無理だよ、ここで生活するなんて。

そう思ったところで、僕にはどうすることもできなかった。

「朝すぐに取り調べがあるから、それまでここで待ってろ」

僕は看守から菓子パン二個と牛乳を受け取り、房のなかに入って隅へと移動した。

ガチャンと音を立てながら茶色い扉が閉まる。

「あ、どうも」

先客の女性が声をかけてきた。

「ああ、どうも」

僕が返事をすると「何したの?」と聞いてきた。

「なんかいろいろです」

「へえ、いろいろなんだ」

それ以上、会話は続かなかった。

しばらくて僕は名前を呼ばれ、取り調べ室に移動した。

移動するだけなのに、いちいち手錠をかけるのが煩わしい。

取調室に到着すると、パンチパーマの刑事が「そこに座れ」と言った。

このときはまだ、のちに彼に悩まされることになるとは思ってもみなかった。

取り調べが終わって留置場に戻ると、看守が「おまえは、こっちに入ってくれ」と言った。

どうやら僕は、見た目が男性にしか見えないこともあって、雑居房を独居房として使うことになったらしい。

そのことを朝まで一緒の房だった女が、留置場内の男たち(もちろん全員勾留中)に話したようだった。

それをきっかけに留置場を去るまでの約三カ月間、僕は元女性であることを男たちから貶され続けた。

「おい、男女。返事しろよ」

「なんでおまえ、柄パン履いてんだよ」

「気持ち悪いぞ、頭おかしいのか?」

「聞こえてんなら返事くらいしろよ」

そのいずれの言葉にも、僕は反応しなかった。

看守が注意しに来てくれることもあったけれど、そんな機会は滅多になかったように思う。

「もうやめろって、暴れ出したらやばいって」

どこかの雑居房にいる、声色の若い男が笑いながら言った。

複数人の乾いた笑い声が、留置場内に響いた。

― 誰が暴れるものか、このクソ野郎。

僕は体育座りをして身を縮め、まるでこの場に存在しないかのように息を潜めた。

言い返して問題を起こしたら、勾留期間が延長されるかもしれない。

そう思うと、何もできなかった。

だからいつも奴等が飽きて何も言わなくなるまで、壁にもたれかかりながら座り、両手で両耳を塞いだ。

馬鹿にされたり、差別されたりするのには慣れている。

これまでも散々いろんな人たちから言われてきた。

こんなことくらい、大したことはない。

祈るような気持ちで、早く終わってくれと願った。

そもそも、ここに来るようなことをした僕が悪い。

自分が情けなかった。



房に隣接する廊下の窓から、初夏の風が入ってくることがあった。

僕は、その風にあたりながら、あるひとを想った。

連絡手段がないから、今度いつ会えるのかはわからない。

逮捕されるまえ、付き合うかどうか話し合っていた女性がいた。

「もし十八時半を過ぎても僕から電話がかかってこなかったら、捕まったと思って」

「変なこと言わないでよ。電話待ってるから」

それが最後の会話だった。

電話を切った僕は、そのあとレンタカー屋に行って車を返却し、店を出たところで逮捕された。

次に彼女に会えるのは、おそらくここを出てからだ。

それまで彼女が僕を待っているわけがない。

犯罪を犯すと大切な人を失うのだと痛感した。


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