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見た目の男性化と比例して、身体を「く」の字に曲げて暮らした話

僕は自分の見た目を男性化させるために、ホルモン注射を打っている。

注射を打つと、いろんなリスクがあることは知っている。それを知ったうえで、僕はホルモン注射を打つことを選んだ。

結果、随分と生きやすくなったから、これでよかったと感じている。

今日は、ホルモン注射を打ったばかりのころの、恥ずかしい話をしたいと思う。

僕が初めてホルモン注射を打ったのは、22歳のころだ。

当時「オナベバー」でバイトをしていた。そのバイト先に、ホルモン注射を打っている従業員がいたのだ。

注射の存在を知ったとき、これはもう打つしかないと感じた。

僕を産んでくれた母には申し訳ないけれど、注射を打って見た目さえ変われば、心がとても楽になると考えたからだ。

そう考えてしまうくらい、女性の身体であることが、嫌で嫌で仕方がなかったともいえる。

実際に注射を打つまでに、そう時間はかからなかった。

初注射から2~3ヵ月経ったころだろうか。

声が変り、ぽよぽよとヒゲが生え、すね毛の1本1本が太くなっていった。

ただそれだけのことだったけれど、僕はめちゃくちゃ喜んだ。

しかし、喜びも束の間。

同時に、ある悩みを抱え始めた。

それは、陰核の巨大化だった。

まあ、振り返ってみると、病院から貰った紙には書いてあった。ホルモン注射を打ったときの変化として「陰核の肥大」と。

けれども、ものごとには限度というものがある。

僕の場合、陰核の成長が著しく、パンツに少し触れただけでヒリヒリと痛んだのだ。

そのヒリヒリは、約3ヵ月ほど僕の頭を悩ませた。

病院の先生に相談したらよかったのに、と言う人もいるだろう。

確かに、そのとおりだと思う。

でも、22歳のウブだった僕は、恥ずかしくて言えなかった。病院の先生どころか、誰にも言えなかったのである。

仕方なく、自分でどうにかしようと考えて、知恵を絞りまくった。

何かをあてがって陰核を保護しようか。

そう思ったものの、すぐにダメだと感じた。

あてがっては、ダメなのだ。

それがかえって、刺激になってしまうかもしれない。

僕の陰核に、刺激はご法度だ。

じゃあ、ボクサーパンツを履いてみるのはどうだろう。

「それは名案!」と僕は感じたのだけれど、すぐに却下した。

自分がボクサーパンツは好きではないことを、思い出したからだ。身体の線がはっきりと出るから、それが嫌なのだ。

そんなこんなで、約1ヵ月くらい、陰核のヒリヒリは僕の心を揺さぶり続けた。

「何かをあてがうか、あてがわないか。さあ、どっちだ?」

と、言わんばかりに。

最終的に僕はどうしたか?

答えは、この記事のタイトルどおりである。

日中の大半、身体を「く」の字に曲げて暮らした。

そうすることで、陰核が少しだけパンツに当たらなくなるからだ。

当時の僕の風貌はまるで、勉強机の上にある電気スタンドのようだったと思う。

困ったのは、僕の周囲にいる人たちが、心配しはじめたことだ。

腰痛か腹痛だと勘違いして「痛いの?」と声をかけてくれた。

そのたびに、僕は心のなかで謝った。

― ありがとう。でも、ごめん。違う、違うんだ。痛いのは、そこじゃない。

といった具合に。

いっそのこと、何かあてがってしまえ!

何度そう思ったことか。

日常において、何かをあてがったまま、誰かに自分のパンツ姿を見せる機会はゼロに等しい。

いいじゃないか、堂々とあてがえば。

そうやって、自分を説得したことも、一度や二度ではない。

でも、僕の決意は固かった。

あてがうことに、背を向け続けた。

ヒリヒリがおさまるまで、自分にこう言い聞かせたのだ。

― あてがうな、感じろw

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