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【短篇小説】気難しい五十円玉

 智哉とは、保育園からの幼馴染で腐れ縁だ。
 小学校に入ってから、ずっと同じクラスだった。
 僕は、智哉のことがあまり好きではない。
 理由はケチ過ぎるから。
 本人は気づいていないけれど、友だちのあいだで「ケチケチマン」と呼んでいる。
 智哉のケチぶりは、すさまじいものがあった。
 たとえば、一カ月前に智哉の家に遊びに行ったとき、僕が「喉が渇いたから水飲ませて」と言うと、水がもったいないからダメだと断られた。
 水なんて蛇口から、いくらでも出てくるじゃないか。
 僕がふてくされていると、智哉は言った。
 「水道代がもったいないだろ?」
 水道代がもったいないだなんて……。
 智哉が水道代を払っているわけじゃないのに、よくそんなこと言えるなと思った。
 この話には続きがある。
 ほんとコイツはケチだなと思いながら僕がイラついていると、智哉は「ちょっと失礼」と言って台所に消えた。
 気が変って水を持ってきてくれるのかと思いきや、冷蔵庫から紙パックのオレンジジュースを出してきて、ラッパ飲みし始めたのだ。
 美味しそうに飲む姿を見ているうちに、僕は怒りを通り越して呆れてしまった。
 ちなみに、最後の最後まで、オレンジジュースを飲ませてくれることはなかった。

 そんな智哉が、一週間くらい前から別人になった。
 やたらと気前がいいのだ。
 学校帰りにお菓子をくれたり、「絶対、内緒だよ」と言いながら自販機でジュースを買ってくれたりする。人気ゲームのカセットも、「これ、オレもう飽きたから」といって、三本もタダでくれた。
 その変貌ぶりに僕は驚いたし、ちょっと気味が悪かった。
 きっと、何か裏があるに違いない。
 じゃないと、ケチケチマンが、気前よくなるはずがないと思った。
 学校の帰り道、僕は思い切って智哉に聞いてみることにした。
「最近、なんかいいことあった?」
 智哉は、空を見上げながら「とぅとぅとぅとぅとぅ~、とぅとぅとぅとぅとぅ~」と歌っている。
 どこかで聞いたことのある歌だ。
 ああそうだ、僕は思い出した。
 ママとよく一緒に行く、スーパーの野菜売り場で流れている曲だった。
 智哉も、あのスーパーに買い物に行っているのかな。
 って、おい! 僕は野菜売り場の曲が聞きたいわけじゃない。
「なあ、僕の話、聞いてんの?」
 少し声を尖らせながら智哉に言うと、聞こえてるよと返ってきた。
 なんだか、僕の質問に答えたくなさそうな雰囲気の漂う声だった。
 これ以上、突っ込んだことを聞くと、機嫌が悪くなるような気がする。
 面倒を起こしたくなかった僕は、しかたなく口をつぐんで智哉の隣を歩くことにした。
 電柱五本分くらい歩いただろうか。
「気難しい五十円玉って知ってる?」
 急に智哉が言った。
「え? なんだって?」
「いや、だからさ、気難しい五十円玉って知ってるかって聞いたのさ」
「そんなの初めて聞いたよ、知らないよ」
「まあ、そうだよね……」
 ふふっと不敵な笑みを浮かべながら、智哉は僕から顔を背けた。
 気難しい五十円玉って、五十円玉に気難しいも何もないだろう。
 五十円玉は、五十円玉じゃないか。
 僕が混乱していると、智哉はさらにトンチンカンなことを話し始めた。
「気難しい五十円玉ってさ、貯金箱に潜んでいるんだよ。でも、必ずみんなの貯金箱に潜んでいるわけじゃない。オレは、ばあちゃんからもらったんだ」
「どういうこと?」
「まあ、まあ」
 智哉は、足元にあった小さな石を蹴とばしながら、「もう少し、オレに話をさせてくれよ」と僕の肩に手を置きながら気取って言った。
 その手を振りほどきたくなる衝動に駆られたけれど、気難しい五十円玉のことが気になってしかたがない。だから、我慢して智哉のペースに合わせることにした。
「それでさ……」
「うん、それで?」
「オレ、ばあちゃんから気難しい五十円玉をもらうとき、大事にしていたら一生お金に困らないって言われたんだ。大事にするっていっても、たまに磨いたり、声かけて感謝を伝えたり、機嫌を取ったりする感じなんだけど」
「へえ、そうなんだ。なんかよくわからないけど。で、それで?」
「それでって言われても。そうやって気難しい五十円玉を大切にしていたら、お金が勝手に増えていったんだよ」
「は?」
「いや、お金が増えたの」
 五十円玉を、たまに磨いたり、感謝を伝えたり、機嫌を取ったりするだけで、勝手にお金が増えることなんてあるのだろうか。
 にわかには信じられなかった。
「ねえ智哉、やっぱりよくわからないよ。もっとちゃんと話してよ」
「じゃあ、これから家来る? 今日は家に誰もいないんだ」
 
 恐るおそる智哉の家に遊びにいくと、「なんか飲む?」と言ってリンゴジュースを出してくれた。
 これまで何度も遊びに来たことがあるけれど、飲み物が出てきたのは初めてだ。
 智哉の気前のよさが、昨日見た怖い話のテレビ番組よりも怖く感じた。今年の夏いちばんの恐怖体験といっていいだろう。
 いったいコイツは、どうしてしまったのだろう。
 その変貌ぶりのすべてが、気難しい五十円玉のお陰なのだとしたら、相当すごい五十円玉なのだと感じた。
 僕が気難しい五十円玉について妄想していると、智哉は僕の腕を引っ張りながら早くオレの部屋に行こうと言った。
 二人で智哉の部屋まで移動し、パタンとドアを閉める。
「んで、気難しい五十円玉のこと知りたいんだよね?」
 智哉は少し小さな声で話し始めた。
「うん、知りたい」
「そうか、じゃあちょっと待ってて。あ、これ、おまえも食うだろ?」
 智哉は机の上にあった青のり味のポテトチップスに手を伸ばし、袋を開けながら「好きなだけ食べていいよ」と言った。
 やっぱり僕は、智哉の気前のよさに慣れそうにない。背中がもぞもぞしてしまう。
 そんな僕を気にすることなく、智哉は部屋の隅にある本棚に向かって歩いていった。
 そして、本棚の上から二段目の棚に置いてある丸っこい豚の貯金箱を右手に持つと、くるりと振り返って僕を見た。
「驚かない? いや、驚くよな……」
 智哉は大事そうに豚の貯金箱を抱え、僕の目の前にくると胡坐をかいた。
 そして、豚の貯金箱をジャラジャラと激しく振り出したのだ。
 何をしているのだろう、小銭の音がうるさい。
 僕が何をやってるのか聞こうとした、そのときだった。
「あ、痛い、いたたたたたい、いたいたいたい!!!」
 どこからか声が聞こえてきた。
「え? 智哉、これって誰の声?」
「しーっ、静かにしててよ」
 次の瞬間、貯金箱の中からコロンと何かが飛び出してきた。
 銀色の丸い物体が絨毯の上にコロコロと転がる。
「いったあああぃ~!」
 僕は、どうしていいかわからず、銀色の丸い物体を眺めた。
 しばらくするとスクっと起き上がり、すすっ、すすっと、僕のほうに近づいてきた。
「まずは挨拶だな」
 そう言うと、パタリと五十円玉は絨毯の上に倒れ込んだ。
「え? どうしたの?」
 僕が智哉に聞いたところ、まあ見ててと言う。
 なんだろう。というか、なんで五十円玉が動いたり、しゃべったりしているのかわからない。
「会釈すると、このとおり体ごと倒れちゃうから」
 五十円玉は絨毯に突っ伏しながら、こもり気味の声で言った。
 どうやら僕に挨拶をするために、お辞儀をしたつもりのようだった。
 お辞儀といっても五十円玉はコインだから、体を折ることはできない。だから、全身でお辞儀をするというか、突っ伏すことでお辞儀をしていることにしたかったみたいだ。
「ああ、そこまで丁寧に挨拶してもらわなくても」
 僕は五十円玉を起こし、青のり味のポテトチップスの袋に立てかけた。
 絨毯の上にそのまま置いてもよかったけれど、裏表のどっちに顔がついているかわからないから、窒息させまいと気遣って立てかけることにしたのだ。
「君、いい人ね」
 五十円玉は言った。
「え、そうですか?」
「ああ、そうよ、いい人よ」
 彼の声は、機嫌がよさそうで明るい声色だ。
「珍しいものを見るような目でワシのこと見てない。それに、いまワシを起こしてくれたし。君、分け隔てなく人に接することができる人ね。多様性を実践してるっていうかね。誰一人取り残さないつってね」
「そうかなあ」
「うん、そう!」
 五十円玉はピカピカ光りながら、僕に笑顔らしきものを向けた。
 と、次の瞬間、くるりと智哉のほうを見た。
「なんで乱暴に貯金箱から出した?」
 智哉を叱っているようだった。
「おまえ、ワシのことナメてるでしょ? 昭和五十四年の五十円玉だからってナメてるでしょ? 五十円玉で買えるものなんか、たかが知れてるからってナメてるでしょ?」
「そんなことないよ! いつも大事にしてるじゃないか。昨日だって、レモン汁垂らしてきれいにしてあげたよ。ピカピカになったって、すごく喜んでたでしょ!」
「ああ、それはありがとうって思ってる。でも……」
 僕は、完全に五十円玉のペースにのまれていた。
 しかも、急な話の展開に事態が把握できていない。
「あの、いやちょっといいかな」
 声を掛けると、智哉と五十円玉は僕のほうを見た。
「今日はあまり時間がないから、急かすようで悪いんだけど、五十円玉さんに聞きたいことがあるんです」
「なんだ、なんでも聞いてくれ!」
 五十円玉はエヘンと咳払いをして、キラリと光った。
「あのう……、五十円玉さんがどうして動いたりしゃべったりするのか知りたいのもあるんだけど。それより、あなたを大事にすると、ほんとにお金が増えるのか教えて欲しいです」
「ああ、そうよ。たらふく増える」
「ほんとに?」
「ああ、ほんとうよ」
 なぁと同意を求めるような感じで、五十円玉は智哉がいる方向に体を向けた。
 智哉はそれを見て、うんうんと頷いている。
「いや、僕、どうしても信じられなくて」
「まあな、最初は皆さん、そうおっしゃる」
 ああ、そうなんだと思いながら、僕はどうしてお金が増えるのか、その理由が知りたかった。
「あれだよ、理由が知りたいんだろ? お金が増える理由」
 五十円玉はそう言うと、またキラリと光った。
 この人というか硬貨というか、相手の心を読むことができるのだろうか。
「え? 僕が思ってることわかっちゃうんですか?」
「そらそうよ、ワシ五十円玉だから」
 どうやら五十円玉に、隠し事はできなさそうだった。
「それで、どうしてお金が増えるんですか?」
 ああ、そのことねと笑いながら五十円玉は言った。
「それはさ、ワシの身内すごいから!」
「身内?」
「なんだ、君、知らんのか?」
 そう言うと、五十円玉は自分の父方の家系の話を始めた。
 五十円玉のお父さんは百円玉、じいちゃんは五百円玉、ひいじいちゃんは千円札。
 そんな感じで、ひいひいじいちゃんは五千円札、さらにその前は一万円札と続くらしい。
「だから、五十円玉と仲良くなると、身内に話をして連れて来てくれるんだよ」
 智哉は言った。
 まさか、そんなことがあるのだろうか。
「その顔は信じてないな。ちょっと待ってて」
 そう言うと、智哉は机の引き出しを開けて、ここを覗けと言う。
「うわ、まじか!!」
 僕は、引き出しの中を見て思わず声を上げた。
 そこには、三十枚くらいのお札と大量の小銭があったのだ。
 映画に出てくる、海賊の財宝みたいじゃないか。
 このお金で、漫画本が何冊買えるだろう。いや、欲しいものは全部買えそうだ。
 智哉は僕と一緒に引き出しの中を覗きながら、すげえだろうと言った。
「これ全部、五十円玉のお陰なんだ」
「へえ、すっげえな!」
 僕は驚きのあまり、それ以上、言葉が出てこない。
 それにしても、こんなふうになれるなら、僕も五十円玉が欲しい。磨いたり、感謝を伝えたり、機嫌取ったりするのは面倒くさいけれど。
 でも、身内を連れて来てくれるなら、そのくらい我慢してやってもいいような気持ちになってきた。
 僕が気難しい五十年玉を求めるのには、理由があった。
 それを彼に話すことにした。
「僕の家、お母さんが毎日働くようになったんです。最近は、ほとんど家にいなくて。僕が寝ているときに帰って来て、僕が起きる前には仕事に行ってしまうんです。たまに、お母さんと会うけど、会うたびに元気がなくなっている気がして。だから、こんな夢みたいな五十円玉があったら、お母さん頑張って働かなくてよくなるし、楽させてあげられるかもしれないと思ったんです。それに、僕が欲しいゲームも、たくさん買えそうだし」
 僕の話を聞いた五十円玉が、「うーん。そうか」と言葉を詰まらせた。
 君も苦労しているんだねと言いながら近寄って来て、僕の膝にすりすりと体をこすりつけた。
 僕を慰めてくれているとわかるまでに、少し時間がかかった。
「よし、わかった。ワシの身内、派遣するわ!」
 五十円玉が言った。
「派遣?」
「そう、ワシらは紹介制なのよ。誰の貯金箱にも行くわけにはいかない。大切にしてくれそうな人のところにしかいかないのよ。人間だって、大切にしてくれる人のところにいきたいでしょ? それはお金も同じよ」
 言われてみれば、確かにそうかもしれないと思った。僕も自分のことを大切にしてくれる人のところに行きたい。五十円玉の言っていることが少しわかる気がした。
「お金の世界も、人間の世界とおんなじなんですね」
「そうそう、おんなじよ!」
 五十円玉はキラリと光った。得意げな顔をしているようだった。
「とにかく、このあとまず、ワシの親父に話を通してみるわ。たぶん大丈夫だと思うけど。OKが出たら、力のある五十円玉を君の貯金箱に向かわせるよ」
「ほんとですか! ほんとにいいんですか!」
「おお、当たり前やないかい! 君、お母さん、ラクさせたいんだもんな?!」
「そうです、ラクさせたいです!」
「おう、わかった。任せとけ!!」
 そう言うと、五十円玉は智哉に「いいよな?」と目配せをして、じゃあそろそろ家に帰るわと、貯金箱の中に戻っていった。
 騒がしかった部屋の中が、しーんと静まり返る。

「あ、あのさ、一つだけ言っておくね」
 智哉が申し訳なさそうに言った。
 なんだろう、まだ何かあるのだろうか。
「あのね、気難しい五十円玉のことなんだけど」
 小声でぼそぼそと話すから、聞き取りづらかった。誰にも聞こえないように気を遣っているのだろう。
「うん、何?」
 僕が言うと、智哉は話を続けた。
「五十円玉、自分に自信がないんだ。劣等感っていうのかな。だから、わざとらしくならないように褒めたり、感謝を伝えたりしないと、すぐいじけちゃうんだよ」
「そうなんだ、なんだか面倒くさい感じなんだね」
 さっきのやりとりからも、それはなんとなく感じていた。
「それとね、いちばん厄介なのは嫉妬することなんだ」
「嫉妬? 誰に?」
「身内に、だよ。とくに一万円札。五十円玉と比べた日には、あんなじいさんとワシを比べて何が面白いとか怒り始めるから。そうなるとピンチなんだ」
「ピンチ? ピンチになるとどうなるの?」
 智哉は「いやあ」と言ったっきり黙ってしまった。
 時計の針の音がチクタクと部屋の中に響く。
 やがて智哉は口を開いた。
「五十円玉がヤケを起こして、貯金箱のなかを空にしちゃうんだ」


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