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第三話 僕を口説いたクリ刑事
この記事はシリーズものです。
前作をお読みになりたいかたは、こちら。
「おまえは、男として扱われたいか。それとも女として扱われたいか」
のちに僕が心のなかで『クリ刑事』と呼んだ刑事が、僕の目を見て言った。
「男でお願いします」
「そうか、わかったぞ」
それが彼との最初の会話だった。
クリ刑事は定年退職間際のベテラン。
時代遅れのパンチパーマがトレードマークのようだった。
はじめのころ、事件に関して口を割らなかった僕だが、その状態はクリ刑事の手腕で見事にぶち壊されることになる。
「自分の家族に対してどう思ってるんだ? 悲しむと思わないのか?」
彼に問われた僕は、真っ先に母の顔を思い出し「申し訳ないことをしたと思っている」と、泣くつもりはなかったのに嗚咽した。
もう誤魔化すのはやめよう。
そう感じた僕は、兄貴たちとの約束を破り、すべてを話すことにした。
「父親と母親、どちらに逮捕されたことを連絡すればいい? 母親か?」
クリ刑事が僕に質問して、その答えを待った。
「父でお願いします。母はまだ、この話に耐えられないと思うので」
わかったと頷いたクリ刑事は、あとから電話をしておくとだけ伝えてきた。
僕の父は、お堅い仕事をしていた。
自分の子どもが逮捕されたことは、間違いなく仕事に悪影響を及ぼすだろう。
それは僕の憶測ではなく、クリ刑事からも言われた。
「おまえのせいで、父親は仕事を失くすかもしれないな」
返す言葉のない僕は、固く口を結んで俯くことしかできなかった。
それから約一カ月近くにわたり、ほぼ毎日取り調べは行われた。
唯一楽しみだったのは、好きなだけ煙草が吸えることと、クリ刑事が冷凍庫でキンキンに冷やした缶コーラを用意してくれることだった。
僕はコーラが好きだと彼に言ったことはないし、実際のところ別に好きではない。
とはいえ、捕まってから口にしていた飲み物は、食事のときに出される鉄さびが沈んだ水だけだった。
それ以外に飲むものがなかったから、コーラが聖水のように見えた。
クリ刑事が僕を女扱いしはじめたきっかけは、もう覚えていない。
取り調べの最中に、おかしなことを口走るようになっていった。
たとえば、甘栗。
僕は甘栗は嫌いではないけれど、わざわざ自分で買って食べるほど好きでもない。
あるとき、クリ刑事が「差し入れだ」といって甘栗を買ってきてくれたことがあった。
コーラとクリ。
微妙な組み合わせだが、ふだん食べているご飯よりマシだと思った。
その留置場のご飯は、何か一味足りないというか、ようするにまずかったのだ。
だから、コーラと甘栗は明らかにミスマッチだったけれど、どんな味がするのかわかっている分、安心して口のなかに入れることができた。
それにクリ刑事が、僕のために買ってきてくれたことが嬉しかった。
「うまいか?」
なぜかニヤついたクリ刑事が、僕に言った。
まさか「そんなに好きではない」と言うわけにもいかず、「はい、好きです」とありきたりな嘘をついて、口のなかにクリを放り込んだ。
「そうか。女はクリが好きだからな」
かみ砕いたクリの破片が、喉に詰まりそうになった。
女はクリが好きだなんて、聞いたこともない。
というか、気を遣って「好き」と言っただけなのに、それを理由に僕を女扱いするとは何事だ。
彼のパンチパーマ目がけて甘栗をぶん投げたくなった。
しかし残念ながら、袋のなかにクリはもうなかった。
無念。
以降のクリ刑事の話を右から左へと聞きながしながら、クルクルとカールした彼の髪の毛に、何個くらい栗が挟まりそうか想像した。
まあ、挟まってもせいぜい三個くらいだろう。
思っていることをなんでも言える環境だったなら、「そういうことを言うの、やめてもらえますか?」と言えたと思う。
けれど、それはしなかった。
一日も早くここから出るには、大人しくしていたほうがいいと考えたからだ。
甘栗程度の話で終わるなら、僕はそれほど悩まなかったかもしれない。
徐々にクリ刑事は、僕を口説くようになっていった。
「おまえのことは女だと思っている」
「もしおまえがホステスをやっていたとして、俺が店に行ったらどうする? 客として行ったらだぞ」
「そこで俺に口説かれたら、どうするんだ?」
そんなことを、取り調べ中の休憩時間に口走るようになった。
クリ刑事が僕のことを女だと思うのは、彼の自由だ。
でも、僕がホステスとして働くことは絶対にありえないし、口説かれても困るとしか言いようがなかった。
突然頭のなかに飛び込んできたこれらの爆弾ワードは、僕を一気に混乱させた。
彼の妄想とはいえ、取調室で話す内容じゃないし、なぜ彼がそんなことを口走るのか理解できずに苦しんだ。
事件となんの関係もない話じゃないか。
というか、僕はクリ刑事のストライクゾーンなのだろうか。
考えただけで、胸のあたりがムカムカとしてしまう。
僕にとってクリ刑事は、取り調べをしてくれる刑事にすぎなかったし、どこからどう見ても大仏にしか見えなかった。
まさか罪を犯して大仏に口説かれるとは……。
房に戻れば、輩どもが「男女」と僕をからかい、取り調べにくれば大仏が女を口説くときのいやらしい目つきで僕を見つめる。
法に触れなければ、何をやっても許されるのだろうか。
倫理や道徳は、あってないような留置場生活で、僕は少しずつ病んでいった。
まもなく彼女の連絡先が判明することを、このときはまだ知らなかった。
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