見出し画像

第1回 独断的詩鑑賞ノススメ      中原中也『帰郷』

みなさん、こんにちは。
けいちゃんです。

前回の記事で、僕の自己紹介と、noteで何をしたいと思っているのかをごく簡単に書いていますので、もしよかったらそちらも見て下さい。

簡単な自己紹介とこれからの展望|けいちゃん|note

さて、第1回目に鑑賞する詩は中原中也の『帰郷』です。
まずは、詩を見てみましょう。

皆さん、一読してみて何を感じましたか?
僕は初めてこの詩を読んだとき、
「何て虚無感に満ち溢れた詩なんだ」
と思いました。
最後の段落の

あゝ おまへは何をして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ

という文章がとても印象的です。

この詩は題名からも分かるように、中也が自分の故郷のことを思って書いている詩です。中也の故郷は、山口県吉敷郡山口町大字下宇野令(しもうのりょう)村(現在の山口県山口市湯田温泉)です。彼の実家は中原医院という病院であり、父親は軍医として働いていたこともありました。
 さて、中也は恐らくこの詩を創作した際に、自身の生まれ育った村を想いながら書いたのだ思いますが、この詩から感じるのは、彼が故郷へ帰ったときに感じた〈居心地の悪さ〉のようなものを表しているように感じるのです。

中原中也は、生前に『山羊の歌』と彼の死後に『在りし日の歌』という2冊の詩集を出しており、「帰郷」は『山羊の歌』に収録されています。
『山羊の歌』は1934年(昭和9年)に出版されていますので、「帰郷」はそれ以前に創られた作品です。中也の誕生日は1907年4月29日、『山羊の歌』が出版された際には彼は27歳の青年です。
したがって、「帰郷」はそれよりも若い時分に創られた詩だと考えられます。
若い中也にとって、自分の故里(ふるさと)へ帰ることが決して気楽ではなかったことは詩の内容から分かります。
詩の一行目にある

柱も庭も乾いてゐる

七~八行目の

路傍(みちばた)の草影があどけない愁(かなし)みをする

という表現から、季節はだと考えられます。
秋の何とも言えないもの寂しい様子の故郷が伝わってきます。今回調べてみて意外だったのですが、山口市周辺は中四国の中でも結構雪が降る地域だそうです。中也が生きていた時代は、現代に比べると栄養状態や衣服、家屋なども十分ではないでしょうから、冬というのは人々にとって生命を脅かす存在でもあったと思います。
中也が帰郷した際にも、村の雰囲気が何だかもの寂しい感じをにおわせていたのでしょう。
同時に、秋晴れの気持ち良い日の故郷が好きなんだと言わんばかりに、中也は二回も詩の中で、

今日は好い天気だ

と言っています。
秋空に浮かぶ澄んだ雲、カラッとした秋風、絶妙な南中高度に居てくれるお日様……、秋晴れを感じさせてくれるメンバーが勢ぞろいしている様子が目に浮かびます。
そして、中也は堂々と

これが私の故里(ふるさと)だ

と言っています。彼が自身の生まれ故郷を胸をはって「ここだ!!!」と言っているのが伝わる一文です。
その次の一文、

さやかに風も吹いてゐる

は、秋風の吹く気持ち好い故郷のようすを思わせてくれます。
(ちなみに、「さやか」は漢字で「清か」と書き、意味は「明るくすんでいるようす」です。僕は、てっきり「さわやか」という言葉を中也が勝手に言い換えているのだ思っていましたが、古い表現では普通に用いられていたみたいです。)

その後に、次の二文が来ます。

心置きなく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする

つい先ほどまで秋晴れの気持ちよい故里を描いていると思ったら、何だか雰囲気が悲しい感じになってきました…。
「心置きなく泣かれよと」とは、中也が言われているのでしょう。誰に?
それは、次の文にある「年増婦(としま)」です。
ここで、想像力をはたらかせます。この「年増婦(としま)」とは一体誰なのか?
年増(婦)という語も現代ではあまり聞きませんが、意味は「娘らしい時期をを過ぎて、やや年をとり、女ざかりとなった女性」のことを指します。
僕は、最初読んだときにこの「年増婦(としま)」は中也の母親のことを指しているのだと思いました。
中也の母であるフクは、1879年生まれ(何とフクは101歳の長寿を全うした)なので、「帰郷」が書かれた頃はだいたい40歳代かと思われます。
確かに、「年増婦(としま)」に当てはまる年齢ではあります。しかし、そうだとするとなぜ母親のことをこんな他人行儀風に表現したのでしょうか?
とりあえず話を進めます(強引…(笑))。
次の文章に、この詩の印象的な箇所である

あゝ おまへは何をして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ

が来ます。
はるばると帰郷した中也に対して、故郷の風は容赦なく問い掛けます。
先ほどまで、「さやかに風も吹いてゐる」とあるように風は優しさを帯びていました。
そうして安堵していると、次の瞬間、故郷の風は中也をボコボコにします。
「おまへは何をして来たのだと……」
僕だったら、故郷に帰ってこんなことを言われたらメンタルやられます。
この詩を最初見た時、最初の三段落まではスラスラと読めるのですが、最後の「あゝ おまへは何をして来たのだと……   吹き来る風が私に云ふ」
の部分が浮いているように見えるのです。
しかし、この最後の箇所がやはりキーなのだと思います。
故郷の風の容赦ない問い掛けを書くために、その前の三つの段落があると言っても過言ではないでしょう。
中也にとっての故里は、山口市の村というよりは母親のフクなのだと思います。
つまり、この詩は母親に向けた言葉のように思えます。となると、先ほどの「年増婦(としま)」はやはり母親のフクです。
人間みな、本質的な故里は母親のお腹の中です。
中也は、自身が生まれ育った村と母親のお腹の中を重ね合わせてこの詩を考えたというのは強引でしょうか?(笑)

さて、一応僕は現段階で中也の詩『帰郷』をこのように捉えています。
かなり強引な進め方で「は?」となった方も多いと思いますが、ここまで読んで下さりありがとうございます

詩の読み方は人それぞれあると思います。
ぜひ、「私は~のように思います」というのがあればぜひ教えて下さい。

皆さんの屈託ないご意見をお待ちしています。

ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございます。
では、また第2回でお会いしましょう(^^♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?