私が病を自覚するまでの道のり②
こちらの続き。
2歳の息子を連れて3ヶ月単位で遊びにメキシコへ行った2回目に家族帯同でメキシコに住む事を提案された。
本来なら家族帯同だと任期5年なのだが、単身赴任の任期の3年、残り2年でもイイと会社が言ってくれた。
夫は一緒なら自分が助けられると言い、判断は私に委ねた。
日本ではワンオペ育児。でも、義父母、実母に助けてはもらえる環境がある。
それと、夫がいるメキシコ。。。日中は親子で異国の地に暮らす生活。。。
決めきれなかったが、折角の会社からの申し出に対し、断る勇気が私にはなかった。
そして、日本からの出国も義父母の協力を得て、引っ越し作業から空港迄の移動と、助けてもらい、他力を全面的に受けてメキシコへ行った。今から考えれば引っ越し準備期間は鬱、出発の時は躁状態だったかな。
息子と2人、無事に主人が待つメキシコへ行くミッションを果たさねばならぬ。
同じ様な親子が空港のゲート前にいたので、話したりしてお互いを励まし合った。
そして、無事に到着し、メキシコ生活スタート。
メキシコ着いたら、住まいが変わっていて、遊びに行った時に仲良くしてくれた現地のファミリーたちには会えなかった。
新しいコロニーは、日本人駐在員家族が多く住む所で、日本語が話せるからホッとする面もあったが、色々人間関係が面倒だった。
子育ての良し悪しに干渉される。。。
日本より面倒。。。
子育てしながらメキシコ来て、スペイン語を話せる様になっているママさん達。
現地で車運転したり…。Uber使ったり、現地のお手伝いさんを雇ったり。。。
スペイン語習ったけど、身に付かなかった。
勉強時間を確保しなかった。単語が覚えられなかった。語学学習は、向いてないのかもしれない。。。
そんな私が、メキシコで娘を産んだ。
今年5歳になる娘。。。
今から考えてもあり得ない状況があった。
でも、今元気に生きてます。
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