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『さよならふんどし はろーぱんつ』

僕はかれこれ13年ほど続けていることがある。
公ではないことなのであまり知ってる人はいないし今の時代見たことがある人もあまりいないと思う。
しかし類は友を呼ぶというものでぼくの周りの友達では割と履いている人も多い。
そう、なにを隠そうぼくは、ふんどしを履き続けて13年程になる。
別に隠そうってつもりもないが公に"ぼく褌履いてるんだぁ"と言う機会もそうそうないので、結果人知れずという事になる。
始まりはやっぱりインドで、インドの修行僧が褌を履いてるのに憧れてだ。
ちなみにインドの褌は浮世絵に出てくるような日本の皆がよく知るべろんとなってるやつじゃない。
まぁ詳しくはインターネットで調べてくれ。
名前はランゴティ/langotという。

そんなこんなで修行僧にあこがれたぼくは褌を履く生活になった。
インドで住み込みでタブラを習い始めたのも相まって、ぼく自身ほんとに修行僧のようにタブラを叩きつづけ、そのおかげか、そのせいか当然彼女も作らずに修行僧らしきものを追っかけ続けた。
そうこうしてると13年経っていた。
ある時ZIPFMを聞いていると女性ナビゲーターが褌の話をしていて『ちょっと褌は...。』みたいな事を言っていた。
そりゃそうだ。褌なんて履いているやつにどうやって彼女ができよう?
もし逆の立場だったらぼくでもちょっと...って言ってしまいそうだ。
ただでさえ彼女出来んのに褌なんか履いてたら一生できんわ!と彼女が出来てからじゃなきゃ生まれたままで抱き合うこともないのでよほど褌を履いているなんてバレないわけで彼女が出来る出来ないは褌には一切関係ないのに褌のせいにして、褌を履くのをそろそろやめようかなぁって思っていた。まぁわりと褌は気に入ってるが確かにしゃがんだ時にズボンの腰からはみ出た褌を見られたらみんななんて思うだろう?という不安はあったがそれ以外は結構気に入ってた。だから13年も履き続けたのだ。
そんななか、褌やめようか迷ってるんだよなぁってポロッと褌反対派の親友に言ったらその年の誕生日にパンツをもらった。
いつも褌を作り置きしていたので作り置きした分だけは履き潰そうと思いはや2年。
ぼくの作り置きしていた褌が一枚、また一枚と無くなり始め最近とうとうその親友にもらったパンツを開封した。
ありがとう。

っといいつつも別に大した変化はなく実際はどっちでもいいのだ。
まぁとりあえず今はパンツに切り替えていこうと思いつつも、もしいつか仮にパートナーが出来て褌でもいいんじゃないって言ってくれるなら褌に戻してもいいかなぁっと出来る気配のない思いに身を委ねようと思う。

しかしこれで彼女が出来ないのが褌のせいだ!なんて言えなくなったね。こっわっ。

ぱんつもふんどしもよき。

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