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簒奪者の守りびと 第二章 【3,4】

第二章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,500文字・目安時間:7分>

簒奪者の守りびと
第二章 交叉 
        

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【3】

 リャンカのフィアットの背後には二台の影がある。ゾフたちを追跡する四台とまったく同じ、黒のアベンシスだ。走行性能では敵わない。自然、路地を選択することになった。
 観光客の立ち入らないこのエリアは、忘れられたかのように整備の手が届いていなかった。アスファルトはひび割れ、街路樹は枝葉をのばし、斜め駐車の車両で埋め尽くされた歩道は、本来の役割を放棄している。
 リャンカは北へ向かう。錆び付いた遊具がならぶ広場が、視界の左隅を流れていく。高さの整っていないマンホールを踏むたびに、サスペンションでは吸収しきれない衝撃が、車体全体をバウンドさせた。
「ついてこれるかな?」
 路地の先は、集合住宅が立ち並ぶエリアだった。フィアットが薄い板塀を破壊して敷地に侵入する。アベンシスがその穴をさらに拡大しつつ追ってきた。紙袋を抱えた老婦人が大声をあげて抗議し、その眼前をリャンカが通り過ぎる。老婦人は袋からビーンズの缶詰を取り上げると、後続車へ放り投げた。それは見事に命中し、運転手を苛立たせることに成功した。
 不規則に樹木の生える敷地内を、フィアットは右へ左へとステップを踏むように進む。追跡者はときおり遠回りを強いられつつも、鉢植えを踏みつぶし、ポリバケツを跳ね飛ばし、追ってくる。
「やるじゃん」
 リャンカとしては、追跡者を引き付けていたかった。彼らの狙いがミハイである以上、本命から遠ざけておくことに意味がある。だからこそ、最適な障害物になり得たはずの鉄柵ではなく、ブロックで段差を設けただけの植え込みを選択したのだ。結果的にこれは誤りだった。
 アベンシスの一台がフィアットの尻を追い、もう一台が側道を走った。挟み込まれるのを恐れてリャンカはアクセルを踏み込むが、水分を蓄えた土が速度をあげることを許さなかった。追突され、むしろその衝撃で加速し、挟まれることだけは避けられた。だが目の前には深緑色の板塀があった。
 あっけなく砕けた板塀の先では、フォークリフトが空のパレットを運んでいた。フィッシュマーケットの敷地だ。後方で木板の割れる音が二度続く。リャンカがフットペダルを踏み込むのと、アベンシスが怒りをエンジン音に託したのはほぼ同時だった。三台はタイヤを唸らせながら、フィッシュマーケットの建物に突入した。
 買い物客らは、無骨なアーケードにこだまするクラクションがなにを意味するのか、当初は理解できなかった。状況を理解したあとは、とりあえず手足と声帯を動かして轢かれまいとした。
 小回りのきくフィアットは、人を躱しながらマーケットの中央通路を突っ走る。排水性の高いコンクリートがタイヤを滑らせ、甲高い音を響かせる。鉄柱の先でフィアットは左折したが、対応しきれなかったアベンシスは向かいの卓に突っ込んだ。大量の氷水を撒き散らし、アジとボラが宙を舞う。ハゼはボンネットを滑っていった。二台目はむしろ、その車体をクッションにして強引に左折を成し遂げた。
 リャンカはその先でさらに右折する。だが、アベンシスに同じ手を食わせることはできなかった。追跡者はあえて卓に突っ込んでコーナーをショートカットしたのだ。コンクリートに氷水が追加され、破壊された木箱と発泡スチロールとともにカレイが滑るように広がった。
「うわ。雑」
 リャンカはサイドミラーに視線をやって舌打ちした。
「絶対下手だわ。パートナーに同情する」
 さらに右折する。向かう先はフィッシュマーケットの出口だ。
 障害物の脆弱さを学習したアベンシスは、最短距離を突っ切ろうとした。人間を避ける意志すら放棄して、木箱をぶち撒けながら直進してくる。タイミング悪く、一台目のアベンシスが戦線復帰し、リャンカの眼前に現れた。
 慌ててハンドルを左に切るが、氷水に浸された床がタイヤを滑らせた。フィアットは四分の三回転して、干物を積み上げた陳列棚に激突した。

【4】

 リャンカにとっての問題は、フィアットが傷ついたことでもなく、自分が敵にとって殺す価値を認めない程度の存在だったことでもない。ミハイがこの車に乗っていないと知られたことだった。
 銃を携えて降りてきた男たちは、車内にリャンカの姿しかないことを知ると、そのまま車に戻って走り去っていった。マーケットの職員が投げたサザエがボンネットにぶつかったおかげで、塗装と運転手のプライドをいくらか傷つけることはできたかもしれない。
「班長!」
 繋がるまでワンコールも待つ必要がなかった。
「ごめん。しくじった」
『どうした? 無事か?』
「二台がそっちへ行った。もっと引き付けておきたかったのに。いっそのこと潰しておいたらよかった」
『無理はするな。こちらはビイロル通りを南下中だ』
「追跡車は?」
『四台。これから六台になるわけだ』
「悪かったよ」
『そういう意味で言ったんじゃない』
 リャンカはバックミラーの向きを変え、自分の顔を映し出した。髪はいささか乱れているが、レンズの奥の眼光は濁っていない。彼女は思考を深めたいとき、自分の顔を見る。己の瞳孔の奥を見つめていると、離れたシナプス同士を結合できるような気がしてくるのだ。
『どうした? リャンカ』
「ゾフに伝えて。十五分後にペトニカリ通りにいるように。できればアルビショアラ通りとの交差点から東に3マイルのあたり」
『なんだって?』
「よろしく、班長。いま班長のできる仕事ってメッセンジャーくらいでしょ。しっかり頼むよ。あたしやることあるから」

「傭兵と聞いた以上は容赦するわけにはいかん。ラドゥ、やつらと戦え」
 肩の触れる距離で、ミハイの鼻息が荒くなっている。
「だがこれ以上、民を傷つけるなよ」
「それはなかなか……難易度の高い要求で」
 リャンカといいミハイといい、ラドゥは頭痛がする思いだった。
「班長。この先がチャンスです」
 ゾフの言葉に前方に視線を向ける。確かに一般車の姿がない。十秒程度の時間の猶予はありそうだった。すでにオリアは銃をホルスターから抜いている。
「いいだろう。まず一台潰そう」
 助手席のウィンドウが下がり始める。ゾフは一気に回転数を上げ、摩擦を減らしたところでハンドルを右へ切り、同時にブレーキペダルを踏み込んだ。アウディの後部が白煙をあげて滑り、車体が道路に対してほぼ垂直になった。すべての後続車がオリアの視野におさまる。二車線を利用して競うように追ってくるアベンシスの群れ。その先頭の、睨むようなドライバーの目つきまでよく見えた。
 オリアは右腕を突き出す。肩と肘と手首をしなやかに曲げ、振動を吸収させつつ射線を定めた。連続する銃声、その反響が終わるよりはやく、ゾフはハンドルを戻しはじめた。
 アベンシスのドライバーにとって、自分の身になにが起きたのか理解する機会はなかったに違いない。目の前でアウディがスピンを始め、チャンスが到来したと笑いが込み上げたところまでが記憶にある。次の瞬間には脳が破壊されたため、その記憶も数種類の体液とともにシートの染みとなった。
 操縦者を失った先頭車両はゆっくりと右へ進路を変え、街路樹に激突した。
 すでにゾフとオリアはその光景をミラー越しに見ている。ミハイは振り返ったまま、しきりに瞬きをしていた。
「一般人に被害はありませんね」
「……そのようだ。しかし」
「しかし?」
「腕が立つな。お前たちは」
「いまさらお気付きで?」
 ラドゥが鼻を膨らませたとき、ゾフが声をあげた。
「班長。道が空いていた理由がわかりました」
 その声色に謝罪の成分が含まれていることを感じ取ったラドゥは、前方を注視した。黄色いテープが車道を横切っているのが見える。
「この先、工事中です。迂回路を通過してしまいました」
「まずいな」
 後方からは態勢を立て直したアベンシスが迫っていた。銃撃を警戒してのことだろう。真後ろの一台は距離をとっているが、隣のレーンの二台は一気に距離を詰めてきている。タイヤを狙っているに違いなかった。
「突っ切れるか?」
 左のリアフェンダーが鈍い金属音を立て、着弾を知らせた。
 前方。黄色いテープの下からヘルメットが現れた。それは土中から作業員が登ってきたことを意味していた。つまり工事現場は2メートルほど掘削されているということだ。
「まずい。突っ込むな!」
 ゾフは唯一残された方向へハンドルを切った。タイヤが悲鳴をあげ、景色が回転する。迫るアベンシスの鼻先を通過し、二本の街路樹のあいだを抜けた。直後、段差で大きくバウンドする。浮いた車体を制御する方法はなく、四人を乗せたアウディは、ショッピングモールのメインゲートに吸い込まれていった。


つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!


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