「もの」に惹かれて 生きるということ

最近やけに「もの」に惹かれる。「もの」というのはつまり生きていないものということであるが、例えば、夜中の街は人が少なく、ものの世界なのだ。人に溢れた日中の都会の喧騒よりも、こうした時間に街を歩く方がよっぽど落ち着くのである。また僕は山を見るのが好きだ。なんとなくあっけらかんとした大きさと広がりが、気楽さを醸し出している。

生き物、というのは生まれたからには必ずいつか死んでしまう、という運命をもつ(今のところ)。自分の人生が有限だからこそ、多くの人は生きている内に数多くのことを成し遂げようとしたり、なるべく楽しもうとしたり、するのだろう。

そして、死んでしまったあとどうなるかといえば、僕はやはりものの世界にいくのだと思う。いや、元々僕たちはものの世界から生まれてきたと思えば、またものの世界に帰っていくということなのだ。

まどみちおは、動物などの生き物に対しては、同じ死ぬという運命を共有するゆえの、兄弟に対してのような、励ましをこめての愛したい、という種類の愛情があり、生きていないものに対しては、僕らが生まれてきて、そこに帰る母のような存在として、愛されたい、という種類の愛情を感じる、といっていた。

また、坂口安吾は「わたしは海を抱きしめていたい」というエッセイの中で、女に波がかかった瞬間に、一人の女への愛というものをどこかちっぽけな愛に感じ、自分が海を愛せるようになりたいといった感慨をもったという。

生き物というのは一人で自分の生と死に向き合わなければならないという意味で、本質的に孤独なのだと思う。神というようなものも、こうしたものの世界への懇願に似た愛の対象としてつくられたものではないか。人間はこれからも、生き物の母であるものの世界に、届くことのないラブレターを送り続けるのだろう。

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