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なぜアメリカはトランプを生んだのか - タネハシ・コーツの"The First White President"を読んで

以下はかなり長い読書感想文です。整理せずかなり短い時間で書いたので粗い内容であることをご容赦ください。写真はいずれも自分撮影


良くも悪くもこの4年半、アメリカ政治という物に夢中になった。自分の国の話ではないけれど、我が事のようにニュースをチェックし、記事に目を通し、本を読んだ。そして挙げ句の果てに、アメリカ政治を自分の目で見たいという思いから3度アメリカに行った

トランプ氏の政治集会に2度参加し、トランプ氏本人の演説を生で聴いた。キワモノ扱いされていたトランプ支持者たちと交流した。彼らがあまりにも人間的で友好的だったことに驚いた。
アメリカ社会から拒絶された難民たちの姿も見た。メキシコ・ティファナの難民収容キャンプへ行った。行き場のない表情を見せるグアテマラやホンジュラス出身者の姿を目の当たりにした。
昨年1月、コロナ流行前の最後の海外渡航では、バイデン氏の政治集会に参加し、ごく短い会話ではあったがバイデン氏本人に直接質問をする機会も得た。これらは極めて小さな経験でしかないが、4年間アメリカ政治というものをとにかく凝視してきた。

しかし結局の所「どうしてアメリカ人はトランプに投票したのか」という疑問に対しては明確な回答が得られなかった。何でこんな人物がアメリカの大統領になってしまうのか、という疑問に対する答えを持っていなかった。


と思っていたのだが、この4年間の最後の最後に、その疑問に答えてくれそうな非常に面白い記事を見つけた。
新進気鋭の黒人作家、タナハシ・コーツがThe Atlanticに寄せた"The First White President"という記事だ。
コーツは『ブラックパンサー』の脚本を書いたことでも知られる人物だ。2015年には全米図書賞を受賞。黒人社会を代表する知識人だそうだ。

私は、今月初めに起こった米議会の襲撃事件に衝撃を受けた。なぜこんなことになったのかを説明してくれる記事を探していた。そんな折、2017年10月に書かれたこの記事を発見した。

この記事は最近、日本でも『僕の大統領は黒人だった』という書籍として販売された。"The First White President"のはこの本の下巻に収められている。

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「どうしてアメリカ人はトランプに投票したのか」という問いに答えてくれるコーツの議論はこうだ。

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一般的にトランプ氏の支持基盤は「グローバル化によって困窮した白人労働者」であるとされる。しかしこれは誤りだ。

トランプ氏の支持基盤は「白人」である。

トランプ氏の支持者である白人たちは、トランプが体現する「白人性」というイデオロギーに賛意を示している。だから彼に投票するのだ。これが”The First White President”の中心にあるテーマだ。

では「白人性」とは何か。

コーツによれば、それは「白人が持っている歴史的特権を保持すること」を意味する。今もアメリカ社会に明確に残る構造的差別を「そのままでいい」とする考え。白人は構造的差別のあるヒエラルキー社会の上部に居座り続けて良いとする考え。トランプは「白人の優越性を維持する」というメッセージを発したからこそ、白人たちから支持を得た。だから当選した。私が読み取ったコーツのメッセージはこれだ。

こうした見方は日本ではまれだ。自分を含め、日本ではトランプ氏が当選したのは「格差に怒る白人労働者たち」の支持を集めたからだとする意見が多い。自分も長らくそうなのだと思っていたし、今も少しはそう思っている。

ただ、コーツは2016年大統領選の投票結果を参照した上で、これを「違う」と一刀両断する。

一番わかりやすい説明はこうだ。もしトランプが「グローバル化によって生じた格差に怒る《労働者》」の支持を得ているのだとすれば、白人労働者だけでなく黒人やヒスパニック系労働者からの支持があってもいいではないか。でも黒人労働者やヒスパニック労働者はトランプを支持していない。白人労働者と同じレベルでは支持していない。なるほど。確かにそうだ。納得する。

コーツ氏の言説は、こんなわかりやすいだけの内容ではない。詳細はぜひ元の記事、もしくは書籍を確認してほしい。コーツは、トランプが階層にかかわらず幅広い層の白人から支持を集めていたことを丁寧に指摘している。

さて。コーツの言い分に従って「なぜ人はトランプに投票するのか」という問いに答えようとするとこうなるかもしれない。
奴隷制という惨たらしい歴史の延長線上にあるアメリカの人種格差社会、圧倒的な構造的差別が残るピラミッド状のアメリカ社会の中で、トランプはピラミッドの上部にいる白人たちに「あなたたちが暮らしている社会の差別構造は維持する」「白人優位の社会を維持する」というメッセージを発し続けている。「今のままで良いよ」とささやいている。だからトランプは「白人」から支持される大統領になった。これが論旨だ。

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こういった説は私にとって耳慣れないものだった。しかし、言われてみると確かにトランプの発言、行動、政策の全てに「白人優越性の保持」というイデオロギーが通底しているようにも感じる。

メキシコ人を強姦魔と呼び捨てること。女性の身体を支配可能であるかのように発言すること。障害者を物笑いの種にするような仕草をしてみせること。ムスリムの入国を拒否すること。

「自分がニューヨークの5番街で誰かを撃ったとしても票を失うことはない」と豪語することもそうだ。同じことを黒人が言ったらどうなるか考えてみよう。この発言はトランプが白人だからこそ出来る。「トランプ=白人は何をしても許される」というメッセージを発することは白人の優越性を裏付けるものだ。

これだけではない。

白人至上主義者が起こした事件について喧嘩両成敗的な態度を取ること。圧倒的に黒人にとって不利な司法・警察制度の改革を放置すること。黒人の死亡率が白人に比べて著しく高い感染症への対応を真剣に行わないこと。議会を襲撃した暴徒たち(ほとんどが白人)に「愛している」と呼びかけること。

全ては「アメリカ社会の中で、優越的・特権的な地位を持っている白人(かつ男性で異性愛者のクリスチャン)」に対し、より”下位”にある人たちを徹底的に攻撃し、攻撃しても良いと喧伝することで「あなたたちの社会構造における特権は維持します」と呼びかける内容に聞こえてくる。

国のトップが、古くから残る構造的格差を維持し、その上部にいる層の人間たちに「そのままで良い」とお墨付きを与えた結果が、今のアメリカの姿だといえるのかも知れない。

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さて、翻って日本の話だ。

アメリカにおける白人-黒人の関係は、奴隷制という略奪の歴史ゆえに他のどんなマジョリティ-マイノリティの関係とも違うむごさがあるのかもしれない。しかし、この際、トランプ大統領を「旧来的な構造的格差が残る社会で、その格差を容認し、なおかつ差別を積極的に維持しようとするリーダー」と一般化して捉えてみよう。

日本にもこういう人物が支持されそうな土壌があるような気がしてくる。
日本も他の西洋諸国と同様に旧来的な構造的格差が残る社会だ。

近年改善傾向にあるとはいえ、女性に対する雇用機会や賃金制度など、いまだ平等になったとは言えない。同性婚は法的に保証されていない。人種や国籍という点で見れば、最近のNikeの広告に対して感情的な批判をぶつける人がいるように、特定の国籍の出身者に対して差別的感情を抱く人はいる。単なる差別感情の問題ではなく、外国人に対しては構造的な差別が残る。
(このあたりの具体例を明確に例示できないのは私が不勉強だからだが、こうした差別/格差は間違いなくあるだろう)

こうした構造的格差を利用し、特権的な地位にある日本人男性の内なる闇に訴えかける政治家が日本に現れない保証はない。

コーツはこう指摘する。アメリカでは、オバマという「黒人の」大統領が生まれたことが、トランプ勝利への必要条件となった。
すなわち、それまで「社会の下層にあったはずの黒人」が自分たち白人の上に立って国の指揮を執ることが許せなかった層がいて、彼らの怒りこそがトランプを誕生させたというのだ。「本来、あるべき社会とは白人が優越的地位にある社会」だとする白人たちが、オバマ政権下の8年間に怒りを貯め、トランプや共和党のデマに先導される形で2016年に復讐を果たした

もう一度日本に戻ってみよう。日本で女性の首相が誕生したと仮定する。おそらく私の周りでは(政策的評価を除いたとして)女性首相誕生を祝う声が多く聞かれるだろう。それは自分がかなりリベラルな価値観を持った友人たちに囲まれているからだ。でも日本のどこかで、かなり身近などこかで、女性首相の誕生をよく思わない人たちが「本来は男性が社会の実権を握るべきである」と考え、そういった思いを増幅させる可能性がある。
そういった層に対して「女性を差別して良いよ」「あなたたち日本人男性の特権・優越的地位は守られるよ」と甘い言葉を囁く扇動者が出てこないとは限らない。

アメリカは、トランプという完璧とは言いがたいリーダーの登場によってあっけなく崩れたが、日本はこうあってはいけない。日本ではもっと巧妙な政治家や扇動家が現れるかも知れないが、そうだろうとも社会が崩れてるような事があってはいけない。

なぜなら、構造的格差を容認し、差別を助長する社会は正義ではないからだ。結局、誰のためにもならないからだ。

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と喝破してこの文章を終わりたかったが、今のところ、この結論部分については保留としたい。「構造的格差を容認し、差別を助長する社会は正義ではない」ということを自分は論理的に説明できないからだ。どうしてかと言えば、自分はこの点についてちゃんと勉強していないし、正義について本気で考えたことがないからだ。多分、これは次の4年間に考えるべき課題なんだと思う。

2016年11月9日、ニューヨークのジェイコブ・ジャビッツ・コンベンションセンターで泣き崩れるヒラリー支持者と空間を共にした時から、自分は良くも悪くもアメリカ政治に夢中になった。

次の4年間もそれは同じだと思う。もう少し勉強して、そしてもう少し知識をつけて、可能ならばアメリカの中からその様子を学ぶ機会を得たい。今の仕事も中途半端にしかできていない状態でこんなことを言うのも大それた話だが、でも、それが日本のためになると思うからだ。

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