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【往復書簡】俺が笑えば世界も笑う。

上の壇珠さんの記事へのお返事です。

おはようございます!!祖国ジャパンは12月の風です!!間違って服を全部捨ててしまったので、朝晩とても冷え込みます(俺が)。昨日、本田宗一郎さんの講演動画を見ておりましたら「将棋の歩は、敵陣に入れば金になる」と言っていて猛烈に感動しました。歩兵という捨て駒代表みたいな存在も、敵地に入れば金(ゴールド)になる。私は、自分のことを歩兵みたいに感じております。飛車や角に憧れている歩兵。しかし、この歩兵は一発逆転を全然諦めていない歩兵でもあります。人生に大事なのはガッツであります。感染病の影響で濃厚接触が禁じられておりますが、あなたの心に濃厚接触。他者というアウェイに乗り込み、濃厚接触を試みる時に元気になります。この往復書簡も、歩兵の腕の見せ所であります。金になれるのか、無駄死にをするのか。本日も心を込めて書きます!!この場をありがとうございます!!

圭吾さんが武道館の舞台に立ちたいというときに、そのためにやるべき日々の挑戦が圭吾さんにとって面白くて夢中になるものであるといいなと勝手に思いました。わたしはなにかを書くのに、自分の中で「キタ!今日は自分にとってバチっとくるものだった!」という実感を持つことだけを目的に書いていて、それ単体について言えば1096日間の継続のためではなく、その日のその場のその瞬間のガッツポーズの快感のためでしかないと思います。

わたしももし、音楽を創ることがたまらなく楽しいというときには、その積み重ねの先に武道館があってほしいと思う気がします。でも、武道館単体が目標になったことで音楽を創る楽しみ自体が薄れてしまったら苦痛になってしまうので、その時は自分が武道館に恋をしているかどうかが問われるときだという気がします。武道館の舞台に立つことに恋をしていたら、その間の創作活動がえらい地獄でも、戦車のように立ち向かえると思います。

こんなことを言うとイエスマンだと思われちゃいそうですが「本当にそうだなあ」と強く思いました。自分、今日も生きたと思いながら死にたいっす。一日一回名場面に出会いたいっす。毎日爆笑したいっす。毎日「決まったー!!」とか思いながらガッツポーズしたいっす。毎日「あれ、これはもしかしたら傑作かもしれないぞ??」とか思いながら駄作を生み出し続けたいっす。毎日発明したいです。毎日ギャグを生み出したいです。毎日それなりに苦しみながら、毎日「人生は素晴らしいなあ」と思いたいっす。今日の自分は今日で最後っす。今日の自分に最高な今日という一日を贈りたいっす。

千日以内に武道館に降臨することを目指すと公言してから、千日回峰行(険しい山道を1000日間毎日歩き続ける修行)のイメージが脳内に降臨しました。私は、油断をしているとすぐに修行をしてしまうタイプの人間なのですが、修行って楽しいですよね!!壇珠さんがおっしゃるように「武道館の舞台に立つことに恋をしていたら、その間の創作活動がえらい地獄でも、戦車のように立ち向かえる」のだと思います!!恋って大事!!修行も恋!!恋のためならバッチ恋修行!!武道館を目指すとか言いはじめたときは「俺はまたどえらいことを言ってしまった」とガクガクブルブル震えたりもしたのですが、数日間経ってみると「長い人生、こういう千日間があってもいいよね(真顔)」って強く思うようになりました。なかなかナイスな挑戦を自分に課すことができてご満悦です。歩兵は敵陣を目指します。金(ゴールド)になることを目指して!!自分には、既に金の素養があることを信じて!!

希望って、自分で気がついていないものもたくさんありますよね!認めていなかったり、否定していたり、小さすぎたり、大きすぎたりで、自分が「これが自分の希望だ!」と、気がついていないだけ、ということが往々にしてあるものだと思います。その曇を晴らして、希望に気がついて、じゃあ取りに行くべ!!という過程って、エキサイティングだしウキウキだけれど、でも同時に多くの人にとってとても怖いものだと思います。叶わなかったら辛いから、かっこわるいから。だから無いことにしてしまっている。それを掘り起こすのは怖いですよね。それが現れたがために、急に自分のことがそれを叶えるのにはあまりに足りない人間だと思えて辛かったりもします…

でも、これはあくまでもわたしの感覚なのですが、希望が見つかったときって、「さあ~~俺の個人競技が始まった!!」という面白みにどっぷり行けばいいのだと思うんです。密かな、自分だけの楽しみ。まずはそこからでいいのだと思います。そこから自然と周囲を巻き込んでいけばいいと。まずは自分の発火。まずは自分の狂気。まずは自分の熱量を表現して、その個人競技を思いっきりやっていく。誰かと一緒にやるものだとしても、自分の熱を出すのは自分だけの作業ですよね。それを自分がどこまでやるかだと思うんです。それが起こらなかったら、やりたいことではないのだもの、やめればいいだけです。だから、希望を持つことで失われるものって、なにもないのだと思います。希望を恐れるのは悲しいことです。恐るるに足らず!!と思っていいのだと思います。

わたしは、希望がない人というのはいないものだと勝手に思っています。ほんとうはあるのだけれど、ないことにしすぎてしまっている。どうせダメだから、希望はない。というふうに。でもそれは自分に騙されてしまっているだけだと思うんです。希望が大きいと、人は恐れをなします。でも、それは単なる、単なる希望です。1096日間毎日書くのはどうだろう!!と思ったとき、わたしも恐れました。倒せそうにない敵だ~~!!と思いました。人ってちゃんと危機を避けようという機能があるから、なによりも先に不安要素を見つけるようになっていて、こうなっちゃうんですよね。

こういうときに、それを真剣に相手にしてはいけないのだと思うんです。1096日で見ると倒せそうにないけれど、今日やることは、今日の分を書くということだけ。今やれることを今やるだけ。だからやってみちゃえ!でいいのだと思います。人は希望に対して腰が重い。そして恐怖に対しては簡単に身を預ける尻軽です。でも、希望に対してこそ、どこまでも尻軽でいいのだと思ったりします!!すぐに付き合っちゃえばいい。すぐに恋人になっちゃって、すぐに身を任せちゃって、すぐに夢中で追っちゃったりして。ちょっと辛くても好きだから我慢したり、欠点や短所だって愛したりしながら。

名文過ぎて全文引用しちゃいました!!俺(坂爪圭吾)の存在意義がなくなりました!!俺が言いたかったこと(聞きたかったこと)全部言ってくれてるぅ!!やべぇ、俺、要らねええええええっていうのが今の気持ちです!!しかしながら小生にも歩兵の意地がありますので「頑張るぞぉ〜!」と追加で何かを言いたいと思います。よし。やるぞ。俺はやるで〜〜〜!!!!!

「人は希望に対して腰が重い。そして恐怖に対しては簡単に身を預ける尻軽です」というお言葉、まじでそう、まじでそう、まじでそうだと赤べこ(会津若松参照)くらい頷きました!!カクカクカクカクッ!!本当にその通りですね!!カクカクカクカクッ!!やっぱりあたしは思うのです。何かを「やりたい」と思ったときに、それをやらずに放置をした自分と、実際にやりはじめてすったもんだしながら足掻き続ける自分と、どちらを愛しく思えるか。どちらの自分を好きになれるか。恋愛に例えるのはとてもわかりやすいですね・・・好きな人といるときに「あなたを好きです」と言えるか、否か。気持ちが伝わるかどうかはあとの話で、大事なことは実際にやることなのだと思います。大事なことは「自分にできることをやった」という爽快な手応えだと思います。勇気が必要な道を選べた自分を、私は戦友だと思います。愚かな道を選べた自分を、私は親友だと思います。やっぱりお前はさすがだなと、少なくとも自分だけは自分の友達でいてあげることができます。

「さあ~~俺の個人競技が始まった!!」という面白み。この言葉最高に最高に最高ですね!!私たちって、自分という種目のトップアスリートですよね!!誰もが自分という競技でぶっちぎりの一位だと思います!!だから、私は「魅せてくれ」と言いたい。自分にも他人にも「魅せてくれ」と言いたい。俺は俺にしか出せない面白みを醸し出していきたいと思うから、お前はお前にしか出せない面白みを醸し出してくれ。そして俺を震えさせてくれ。と。勇気を出す瞬間は怖い。確かに怖い。しょんべんチビリそうになるし、なんで自分はこんなことをはじめてしまったのだろうと何度も何度も何度も後悔するし、見ているだけの人がめちゃめちゃ羨ましく感じて「俺もそっちに戻りたい」と思うし、いいことよりも悪いことの方が五億倍多く感じます。しかし、しかし、しかーーーーし!!!!!これらの恐怖を乗り越えて実際にやったものにしか味わうことのできない喜びが、感動が、真実の瞬間があるのです!!あれはもう絶対に実際にやった人間にしかない味わえない喜びです!!これを取りに行こうじゃありませんかと言いたい!!血や汗や涙で顔面をぐしゃぐしゃにしながら、泣いているだか笑っているんだかわからない状態で嗚咽を漏らす、あの感じ。あの感じこそ、生の醍醐味じゃろがああああい!!!!!!!!!!(すいません取り乱しましたすみません)

私はまだ結婚をしたことがないのですが、そういう話をした時に既婚者の女性から「10回くらい結婚したらいいのよ」と言われました。これを聞いた時の衝撃と自由は半端ないものがありました。どうしても「どうすればうまくいくか?」とか「どうすれば失敗しないでやれるか?」みたいなことを先んじて考えてしまう真面目さがあたしにはあるのですが、10回くらい結婚したらいいのよという言葉の破壊力は気持ちよかったです。ああ、そうか。と。一回や二回でうまくやろうと思うから「失敗は許されない」みたいに肩肘を張って踏み出す一歩を躊躇してしまうけれど、ダメならダメで何度でもトライをすればいいのだと思えば、踏み出す一歩が身軽になる。ダメならダメで「ダメでしたー!!」ってニッコリスマイル。そこで絶望をするのではなく「よし、次」となってさらなる一歩を踏み出せば、いつか出会える。いつか出会えるかもしれないじゃないか。たとえ出会えないとしても、潔い、爽快な日々を過ごすことならばできる。だからもう、この往復書簡に何度も書いていることではありますが「やるっきゃねえ」なのだと思います。俺たち、もう、やるっきゃねえ。俺たち、やるっきゃねえのだと思います!!!

わたしは自分を賢いと思うことなんかよりも、バカだと思った時の喜びと快感が最高に好きです。自分を打破したときの喜び。自分の勝手に持っている枠が壊れたとき、「あああなんで今まで気が付かなかったのだろう、自分はなんと愚かだったのだろう!!はははははは!!バカバカ~~!!」と思うときの、解放感ととてつもない喜びは人生の醍醐味だと思います。自分が愚かであることを発見するのが嫌ではなくなると、人ってなんだか芯を得て、非常に強くなる気がします。無用なプライドもなくなって、開放されますよね!!!

めちゃめちゃわかります!!私の中のイエスマンどもが大喝采をあげています!!自分が壊れるってたまりません!!これまでは「これがなければ生きていけない」と強く思い込んでいたものが、それがなくても生きていけるばかりかなんならそれがあった時よりも自由になれちゃうなんてこはザラです。だからなのでしょうか、私は勝手に『壊れる喜び』『斬られる喜び』みたいなものを下々のみなさまとも分かち合いたいと願い、頼まれてもいないのに壊したり斬ったりを繰り返してい気がします。そして、壊したり斬ったりしながら同時に「俺を壊してくれ」とか「俺を斬ってくれ」とも思っています。祖国ジャパンには傷つきたくないという思いで悩む人々がたくさんいる(私もそのひとりであります)気がするのですが、私は思います。実は、本当は、みんな傷つきたいのではないか。傷ついてパッカリ開いた傷口からニューボーン自分がひょこっと顔を出すことを知っているのではないか。実はみんな壊されたいのではないか。実はみんな斬られたいのではないか。自分はこういう人間だという自画像をぶち壊して、どんどん出てくる新しい自分に出会い続けたいのではないか。少なくとも、私は、新しい自分をどんどん見たいと思います。怖いけど、恥ずかしいけど、見たいと思います!!!

突然ではありますが、壇珠さんは「物理的には離れているけれど、いつも一緒にいる」というような感覚を持つことはありますか??と言いますのも、私は誰かを色恋的な意味で好きになったとしても、どうしてなのか「どうしても一緒にいたい!!」という気持ちになることがあんまりないのです。そういう自分を冷血だと感じたり愛のない人間なのだろうかと思い悩む時期もあったのですが、現在は違って、物理的には離れていても「一緒にいる」と常に感じていることが判明したのです。美味しいものを食べたり、綺麗な景色を見ると、ああ、あの人と一緒に見たいなあとか、ああ、あの人にも食べさせてあげたいなあって温かい気持ちで思います。しかし、それなら今度一緒に旅行に行こうよって提案をするのかと思いきや、あんまりそういうことをしません。あんまりそういうことをしない代わりに、もしも自分の好きな人から「いま会いたい」と言われたら、世界の何処からでも「俺はそのために生まれてきました」とかなんとか言いながら、速攻で駆けつける準備だけは出来ています。受け身的であると言えばめちゃめちゃ受け身的ですが、頭の中に常にその人がいてくれるから、離れていても一緒にいるのです。思いは常に風に乗せていると言えばいいのでしょうか、こういう話をすると「いやいやいや、風になんか乗せていないで実際に言葉にしやがれこの野郎」とか言われちゃうのですが、こういう感覚って壇珠さんにもございますか!?

私は「共に生きる」という言葉が好きで、では、共に生きるってどういうことなのだろうかって時々考えます。みんなで一緒に同じ目標を抱き、同じ場所を目指して一丸になることだけが「共に生きる」ではない気がします。物理的に常に近くにいて、生活を共にすることだけが「共に生きる」でもないような気がします。私は、お互いが好きなことを好きなようにやりながら、それでも「一緒にいる」ことができている瞬間を奇跡のように感じます。やりたいことをやりたいようにやりながら、それでもなお、一緒にいることができることの奇跡。誰かのためとか、何かのためとかでもなく、ひたすら徹底的にただただ徹頭徹尾「自分のため」に生きながら、それでもなお、一緒に笑い合えることの奇跡。一緒に生きることができている奇跡。まだまだ全然言語化が追いついていないのですが、この「共に生きる」という感覚を深めるようになってから、一人が(昔より)平気になりました。ナチュラルに「俺は一人ではない」と思うようになりました。逆に言えば、自分はひとりなのだ、誰も自分のことなんて理解してくれないのだ、自分はいてもいなくてもいい存在なのだなどという風にやさぐれてしまっている時は、共に生きるから離れてしまっている時だと感じます。共に生きるという言葉は、自分を生きるという言葉ととても似ています。論理的にはめちゃめちゃかもしれませんが、自分を生きることがみんなと生きることになるのだと感じます。

やりてえんだ。やりてえんだよ。目指してえの。そうですよね!!ダメだったら?知るかよ。恥かいたら?知るかっての。ダメだったらダメだった状態に、恥かいたら恥かいた状態に、それぞれなるだけじゃろがああああ。それ以外にあんのか?!って話ですよね!!

俺は言いてぇんですよ。やっぱりだめだったらと思うとちょっと、、って言うやつ!!恥かくかも知れないから、傷つくかも知れないから、損するかも知れないから、だからやらないほうがって言うやつ、考えてるやつ!!お前地球人だろ?!なに神に”なろう”としてんだよ。完璧な人間になろうってのかい?どういうプライドの高さだよ!「わたしは人生の失敗とか傷つきとかを最小限に抑えました」っつって死にてえのかって。そのとき誰かに「ああ、そのためになにもしないできたんですね~w」って言われたら、どう思うんだ?!それは楽しいのか?嬉しいのか?傷が怖いのはわかるけど、やってみたいことをやってみもしないで死にたいのかって!

多くの、「楽しもうとすると怖いし、かといってなにもしないとつまらないし…」というジレンマに陥っている人が、完璧な道を探しているように見えます。傷もつかず、楽しく、後悔もなく、恐ろしい思いもしなくて良くて、不安もなく、チャレンジを避けられて、恥をかかず、けなされず、見下されず、かつなにも失わず、豊かに生きたい。でも、それは幻想です。そんな道、地球人には用意されていない。だから、じゃあそれぞれにメリットもデメリットもある道のうちのどれかを選ぶしかないのだというのに。

泣けます!!命の煌めきに泣けます!!俺の中のイエスマンどもが「俺の人生、最高」とイエスマンの日々を根底から肯定しています!!今更ですが大好きです!!壇珠さんのことが大好きです!!この大好きはデカイです!!壇珠さんを好きになる=自分を好きになる=人類全体を好きになるという幅と深さで大好きです!!よっしゃーーー!!燃えてきたーーー!!生きるっきゃねえぇ!!生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて死にます!!

俺たちぜええーーーーーーーーーんぶ、ソウルメイト。モノたちも、星も、マウスも、もうなにもかも。俺たち、ですよね!!それらの物になったなにかと、わたしになったなにかと、圭吾さんになったなにかと、空気になったなにかは、変身した神だと思います。そしてこうした考えを、わたしはちっとも変な考えだと思っていません。自分の好きな考えを採用して、それを真実として生きればいい。好きなものを信じ好きなものを勝手に本当だと考えて、そこから湧くものを勝手に味わって、生きて生きて死ねばいい。きっと死んだあとは、夕陽の切なさのあとにきれいな星を見る夜のように美しいから。死んだあとに見るものだって、きっとこの宇宙のどんな次元だって、破茶滅茶に美しいと思います。その考えを採用して、その考えを真実として、勝手にいい気分で生きて死にます!!そんなふうに好き勝手に思う自分が、ぜええーんぶとソウルメイトなのが感動的です。だから、自分が勝手であればあるほどに感謝が増します!こんなに好きなように勝手にしているのに、それでもあんなに美しい月や星空と、この宇宙を構成する者同士のソウルメイトだなんて…!!

もう本当にありがとうございます。最後はありがとうございますしかねえっす。ありがてえっす。お天道様を拝む農民の気持ちです。あたしゃ思います。俺が笑えば世界も笑う。だから、俺が世界なのだと。世界は俺のものだという意味ではなく、俺が世界。俺そのものが世界。だから、俺が笑えば世界も笑う。俺が泣けば、世界はそれをもっとも引き立たせてくれる形で存在をする。だから笑う。俺は笑う。俺は俺の世界のために今日も笑う。明日も笑う。血を流しながらニッコリ笑う。なにもないなら「なにもねえや」とニッコリ笑う。なにもねえやと言いながら、本当はなにもかもあることを知っている。そんな顔で笑う。歩兵の矜恃を胸に抱き、敵陣の中で金になる。壇珠さんと話していると(往復書簡なのに、書いているというよりは「話している」という感覚があります!!)、自分の中の歩兵魂が引き出されて猛烈に燃えます。今日も焚きつけをありがとうございます。勝手に燃えて生きて勝手に燃えて死ぬ俺です。そんな人生を「悪くねえな」と思います。悪くねえなと言いながら、本当はなによりも最高であることを知っている。そんな顔で笑う。そんな顔で笑う俺をこれからもよろしくお願いいたします!!大好きです!!大好きですということでどれだけ周囲の誤解や軋轢を生むことになったとしても俺は愛を叫びたいと思います!!大好きです!!うおっっしゃーーーーーー!!今日も生きる!!壇珠さんに幸あれ!!そして、俺と俺をとりまくすべての人々に幸あれ!!幸せになるんだぞ〜〜!!(号泣)

バッチ来い人類!うおおおおお〜!