【往復書簡】いい女とは、自分を愛せる女である。いい男とは、女を愛せる男である。

上の壇珠さんの記事へのお返事です。

お返事、嬉しい!嬉しさを感じることが嬉しい!

私は、2014年から2016年の2年間家のない生活というものをしました。当時からブログを書いていたのですが、読者の方から「それならご飯をご馳走するよ」とか「それなら我が家に泊まりにおいでよ。交通費も出すよ」とお声をかけいただき、移動を続ける日々を過ごしました。当時はまったくの無名でしたが、きっと私は幸運体質なのだと思います。たくさんのご連絡をいただき、気が付いた時には「坂爪圭吾を泊めるための予約待ち状態」まで発生するようになりました。それまで、私は家がなければ生きていけないと思っていました。だから、家賃を払うためには嫌な仕事も頑張らなければならないと思っていました。しかし、家を失っても生きていけるばかりか、なんだかちょっとわけがわからない『楽しさ』が生まれました。この日々は、私の人生観を大きく変えました。そして、男女観を深める機会にもなりました。

私の観察によると、人生も、旅行も、男の方はどんどん次に行こうとする習性があるように思います。海外旅行なども、1日1カ国などのハイペースで、どんどん新しい国を見ようとするのが男。同じ宿に連泊することをしないで、意気揚々と外に向かうのが男性。それに対して、内に向かうのが女性。女性は「同じ場所に2〜3日いることを通じて、その場所を深く知ろうとする」傾向があるように思いました。なんと言いますか、女性の方はあまりにも移動が続くと心も体も乾いてしまうところがあるのかな、と思いました。時折、世界を旅するバックバッカーと出会うことがありました。これは完全に偏見ですが、長年旅を続けている女性を見て「パッサパサだな」と感じたことが、たくさんありました。干からびているように見えてしまったのです。私にとって、セクシーな女性とは潤っている女性です。その人の存在に泉を感じるような、その人の存在に花を感じるような女性を、魅力的だと思います。そして、その魅力は、全女に本来あるはずのものだと思います。ただ、長い移動の日々は、その泉や花を枯らせてしまうのだと思いました。

2年間の家なし生活を通じて、私は「女性は家のない生活なんかする必要はない」と感じました。帰る場所があって、はじめて安心して外に出ることができる。だから、男性の役割は「自分のための家というよりは、女こどものための家を用意すること」だと感じました。自分のためだけだったら、家も金もさほど必要としません。ただ、女こどもを守るためにはあった方がいい。男性と女性を切り分けて話してしまいましたが、共通の目的は「帰る場所を作るため」だと思います。帰る場所を作るために、男性は広い世界を見て、獲物をとってきたり、家を建てるために必要な材料を、外側の世界から調達する。それに対して、女性は家の中を整え、育むものを育み、自分の中にある泉や花を満たすために必要な材料を、内側の世界から調達する。それらが噛み合った時に、見事なホームを形成するのではないかと感じました。家なし生活をしていた頃、実は、私の心もしっかり干からびていました。楽しいことは楽しかったのですが、肉体的な疲労も激しく、なんだかどんどん心がやさぐれてしまって、半ば「どうにでもなれ」という自暴自棄のエネルギーで生きていたところもありました。ただ、それでもその生活を続けることができたのは、自分が、自分の生活を通じて得た教訓なり考え方を読者の方々とシェアし、なにかしら役に立つことができたと感じることができたからです。私と読者の間に築かれたものが、わたしにとっての居場所となり、帰るべき場所を形成しました。居場所とは、場所ではなくて人間なのだと思います。誰かとの間に築かれた特別な関係性、それが絆なのだと思います。

海外旅行に限らず、毎日の生活も同じだと思います。あまりにも忙しい日々を過ごすと、自分の心を置き去りにしてしまいます。その点は、女性の方が感度が高いように思います。男性(性)は、よし次、また次、という感じでどんどん次に行こうとします。放っておくと常に自分を駆り立てしまって、自分を死地に追い込みます。それを止めてくれる存在が女性(性)です。女性性の本領は「いまのためのいま」を生きる力なのかな、と思います。私は男性で、なにかあるとすぐに「なにかやらなくちゃいけない。いまという時間を未来に活かすための使い方をしなければならない。なにもしていない自分には価値がない」という風に、自分を責め立てます。いまという時間が「いまのためのいま」ではなく「未来のためのいま」になってしまうのです。それが良い風に働いているときは活力源になるのですが、行き過ぎると体を壊します。ストレスを溜め込み、余裕を失い、骨は冷え、視野狭窄に陥ります。あれ、自分はなんでこれをやっていたんだっけという風に、虚無感にも似た疑問を抱いてしまうことになります。多くの場合、そういう時期は「自分の心を置き去りにしてしまった」時なのだと思います。置き去りにしていた自分を取り戻すために、必要なものが「いまのためのいま」なのだと思います。私は、その力を、女性から教えてもらったように感じています。

私は、穏やかな笑みを浮かべながら裁縫をする女性の姿に『平和』を見ます。台所から聞こえてくる、リズミカルな包丁の音に『平和』を感じます。おそらく、そこに母性を感じるからなのだと思います。大袈裟な言葉で言えば、母性とは『根源的な郷愁』のことだと思います。素晴らしいと感じるもののなかには、必ず、懐かしさがあるように思います。私たちはそのことを既に知っていて、たまたま、目の前にあるものを通じて『思い出した』だけに過ぎないのだと思います。先ほど、居場所とは場所ではなくて人間だと書きました。それは、他の誰かではない『自分』なのだと思います。居場所とは、自分の心のことであり、自分という極めて個人的なもののなかに、『みんな』がいるのだと思います。だからこそ、懐かしさの中に寛ぐことができる。いまのためのいまに寛ぐことができる。抽象的なことばかりを書き連ねてしまいましたが、なにかしら感じていただけるものがあったら幸いです。こういう話をさせていただける壇珠さんという存在に、こういう話を話したいと思わせてくださる壇珠さんの存在に、勝手に元気をもらっています。素晴らしいと感じるもののなかには、必ず、懐かしさがあるように思います。だからこそ、私たちは『せつない』という感情を胸に抱くのだと思います。

全然関係ないですが、昨日、不特定多数の方々と集まって『男女』をテーマにお茶会をしました。そのなかで「いい女とは、自分を愛せる女である。いい男とは、女を愛せる男である」という名言が飛び出しました。開始10分後にこの言葉が飛び出して、なんだかもう今日のお茶会はこれで終わってもいいんじゃないのかくらいのことを思いました。その後、参加者の女性からこんなメールをいただきました。パワフルに触ってもらいたいときもあれば、優しく、ゆっくり、丁寧に時間をかけて触って欲しいときもある。私が、実際に言われた言葉です。セックスも、人生も、似ているのかもしれません。

西荻窪に引き続き、今日も参加させて頂きました
隠れ家みたいな、田舎の家を思い出すような、懐かしい気持ちになりました
とても爽やかないい気が流れてると感じました
今日のお茶会で、改めていい男女関係(パートナーシップ)って、自分自身といかに向き合えているかが重要だなと思いました
色んなタイプの男女がいるし、一概に言えることでもないけど、私は
「この人といるときの自分が好きって思えるか」
を大切にしたいです
自分がへりくだるでもなく、優位に立つでもなく、相手や自分をコントロールすることもなく、自分らしくいられる、そんな関係です
素直に自分の気持ちも伝えるし、相手の気持ちも素直に受け入れられる(相手も話しやすいって感じてもらえる)土壌作りたいなって思いました

言いたいこと言えずに我慢してる男の人の姿もいじらしくて好きですけど
男は出すな!ってことでしょうか笑
男の人のほっといたら死ににいく感覚、やはりDNAレベルで古からの狩猟や戦いの記憶が刻まれているのかなと
女性は家を守りますから

あと、セックスは女性を悦ばせるものだとも思います
女性の体は神社と同じと聞いたことあります
参道(産道)を通ってお宮(子宮)があり、手を濡らしてから入る
神様を悦ばせる
是非そんな気持ちで男性にはセックスに挑んで貰いたいなと思いました
今日もありがとうございました
また会いに行きます

女性の言葉には、背筋を正されることしきりです。

【おまけ】

ホームをレスした話(全18話)。暇な時にどーぞ!!

みなさまも、コメント欄からご意見いただけるとうれしいです!!٩( ᐛ )و

バッチ来い人類!うおおおおお〜!