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記事一覧
ホームをレスした話(1)
2014年のバレンタインデーに、私は、ホームをレスした。
当時、私は東京の渋谷界隈で彼女と同棲をしていた。この日、彼女から「話がある」と言われ、私は「バレンタインデーだから、チョコかな?」などと呑気に構えていた。が、彼女の口から出た言葉は「あなたとの未来が見えない。だから、別れたいと思う」という、チョコよりもビターな別れ話だった。小一時間程度の話し合いを経て、私たちは別れることになった。私は、渾
ホームをレスした話(2)
泣く道を選ぶか、笑う道を選ぶか。
試合開始のゴングが鳴る。これは「いかに自分を笑えるか」の勝負だった。生き方のセンスが問われていると思った。ので、まずは自分の中でルールを設けた。それは「悲愴感を漂わせないこと」だった。悲愴感は湿気がすごい。湿気がすごいと魂がカビる(被害者意識とか不平や不満や卑屈になることも魂がカビる)。私は思った。明るいバカに人は集まる。これはもうバカになるしかない。作られたバ
ホームをレスした話(3)
毎日死んで、毎日生まれ変わる。
家のない生活は「執着のない生活」だった。正確には「執着のもちようがない生活」だった。家がないから保管場所がない。だから「いま、必要なもの」以外を持ち運べない。これが良かった。必需品の厳選が行われ、結果的に「スマホと着替えと充電器程度」があればあとはどうにでもなることがわかった。必要なものは街に転がっている。だから、自分が持ち運ぶ必要はない。この点、男は有利だと思う
ホームをレスした話(4)
自分を殺して生きるより、自分を出して死ぬほうがいい。
家なし当初の年齢は28歳。周囲の同年代は出世を重ね、家庭を築く者も、なんなら一軒家を購買する人間もいた。その傍で、私は「家のない生活ひゃっほー!」みたいな感じで着々と浮世から離れ、俗世から隔離されていった。この頃には、もう、他人と比べることをやめた。色々と思うことはあったけれど、多分、この時期に「人並みであることを諦めた」のだと思う。
今世
ホームをレスした話(5)
自分をオープンにしている限り人間は死なない。
家なし生活最大の恩恵は「敵が味方になる」ことだった。どういうことか。これまで、私は「他人とは敵である」という前提で生きていた。多分、学校教育の影響が大きいのだと思う。私たちは「よい学校に入り、よい企業に入る」ことを良しとする教育を受ける。これは、言い方を変えると「他人よりも秀でた人間になる」ことを強要される、相対的評価の過酷さでもあった。
競争社会
ホームをレスした話(6)
素晴らしい出会いは人生を肯定する。
永遠に忘れることはないであろう、最大の喜びに触れる機会が訪れた。私のブログを読んでくれている男性から、ある日、一通のメールが届いた。このメールは、私の人生を大きく変えた。生きていて良かったと思える瞬間の中には、これまでの日々がまるごと報われるような、強い肯定の喜びがある。
男性からのメールには、このようなことが書かれていた。
私は今24歳で、現在所謂ニート
ホームをレスした話(7)
現状を打破するには、自分が恐れていることをやることだ。
家なし生活は続く。出会う方々から、食事や寝床だけではなく「物資提供」も受けるようになっていた。ある日、東京在住の男性がスーパーカブという極めてキュートな原付を譲ってくれた。同時に、別の女性が寝袋を、別の男性がテントを譲ってくれた。三種の神器を前に、私は、神様的なサムシングから「これで生きろ」と言われているような気がした(ので実践をした)。
ホームをレスした話(8)
重く考えるな。軽く生きろ。
人間、生きているとどうしても「自分と似たような境遇の、自分と似たような人々」ばかりと過ごすことになる。小さな世界でまとまってしまう。が、家なし生活はその垣根をぶち壊した。普段だったら出会わない人々、会社員だけではなく風俗関係や極道関係の方々、あるいは、表面的には普通に見えるようでも「蓋をあけてみたら結構やばい」人々との出会いに恵まれた。
日に日に批判も増えた。お前み
ホームをレスした話(9)
誰かのためとか言ってないで、自分のために生きること。
ある日、教育シンポジウムに出演者として呼ばれた。テーマは「こどものためにできること」というものだった。やばいテーマだなと思った。登壇者は、私を含めて四人いた。順番に壇上にあがり、テーマに添った話をする。そんな感じの内容だったのだけれど、当日、ひょんなきっかけでこの日の大トリ役を(親でもなければ家さえない)私が務めることになってしまった。
一
ホームをレスした話(10)
生きているだけでいい。それ以外はおまけだよ。
これまでの日々をまとめると「彼女に振られる」→「ホームをレスする」→「誰か泊めてくださいとお願いをする」→「謎に声がかかりまくる」→「坂爪圭吾を泊めるための予約待ち状態が発生する」→「県外からも交通費を出すから来てくださいと言われる」→「イベント出演依頼や執筆依頼が連発する」→「全国各地を流転することになる」→「蓋を開けて見たら、1年間で47都道府県
ホームをレスした話(11)
どれだけ金を集めても、どれだけ経験を集めても、可愛げのあるひとには敵わない。
私は元来多動症的な傾向がある。多分、発達障害なのだと思う。28歳で家なし生活をはじめるまで、過去に14回引越しを経験した。一箇所に留まることが極度に苦手だった。恋愛も仕事も長続きをすることがなかった。10年間で30種類くらいの職業を経験した。が、どうしても自分にフィットをする生き方を見つけることができず「これはいよいよ
ホームをレスした話(12)
お前の生き方は美しいから、もっと生きろ。
私のブログタイトルは「いばや通信」というもので、私は、過去にいばやという名前の会社を経営していた。いばやとは「やばい」を逆から読んだだけのもので、金になるとかならないとかは一旦置いておいて「自分たちがやばいと思うことをやろう!」というコンセプトだけで設立された会社だった。
いばやには幾つかの仮説があった。
ひとつは「宇宙の摂理として、新しいことをやっ
ホームをレスした話(13)
ひとつの大きな命を生きている。
ある日、日本在住の女性から「海外に行きたいのだけれど、ひとりで行く勇気がない。よかったら、旅費を出すから一緒に行かないか」と声がかかった。結果、私たちはマレーシアとミャンマーを一緒に巡ることになった。
家なし生活を続ける私を見て、色々な人が、色々な言葉で私を形容した。ある人は「あなたは禅僧みたいですね」と言う。ある人は「アーティストみたいですね」と言う。ある人は
ホームをレスした話(14)
横を見るな。縦を見ろ。
昔流行した歌に「涙の数だけ強くなれるよ」という歌詞がある。そのあとの歌詞は「アスファルトに咲く花のように」と続くのだけれど、当時、小学生だった私は「アスファルトに咲く花は別に涙を流したりしない」と思った。この時期から、アスファルトに咲く花側の人間になりたいと思った。涙の数だけ強くなるのではなく、粛々と突き抜けた数だけ強くなるのだと思った。
ある日、イタリアに呼ばれてロー