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友人と仕事と幸福

私は現在東京を拠点に活動しているファションモデル、24歳。
高校卒業まで生まれ育った京都から上京してきて、3年目になる。

tanakadaisuke 23AW COLLECTION

最初は東京という大都会にも、モデルという肩書きにも期待と不安でいっぱいだった。
渋谷へ出るたびに喜んで「渋谷なう」などとSNSに載せていたのが懐かしい。
今となってはそんな街にも慣れて、なんなら人が多過ぎて極力行くのを避けるくらいだ。

モデル業もまだまだ充分とは言えないが、1年目と比べれば仕事の数も格段に増えているし、自分でも少しはモデルらしくなってきたように感じる。

自分ではあまり自覚はないが、この3年間で私自身に色々な変化があったんだろうと感じる時がある。
そのひとつが、まだ私がモデルでもなく、京都に住んでいた頃からの友人と過ごすときだ。

彼らとは高校時代に所属していた部活で出会った。
彼らに読まれたらと思うと照れ臭いが、この出会いのおかげで、私の高校生活は間違いなく我が人生の宝ものと呼べる時間になった。

高校3年生の私(2016年夏)

もちろん現在も自分のやりたい仕事に挑戦し続けて、それを通して素敵な人たちと出会い、貴重な時間を過ごせていると思う。
だがあの高校時代には、今とは比べられない何か特別なものがある気がする。

高校生という時間は、社会人という立場に現実味を持つにはまだ距離があり、子どもという立場からは少しずつ脱しようとしている。
まだ何者でもないが、この先何者にでもなれそうな気がしていた最強で無敵の3年間(そんな学生生活を送らせてくれた家族には本当に感謝してる)
そんな青い春を共に全力で楽しんだ友人達。

そんな友人達も今、大半が生まれ育った京都を離れている。自分もその内の1人。中には私と同じように東京やその付近に暮らしている者もいて、最近はよく会っている。彼らと東京の街中で会うと少し変な感じがする。

以前、その中でも特に頻繁に会ったり、連絡を取ったりしている友人に聞いてみたことがある。「お前からみて、俺って東京来て変わった?...」

24歳の私(2023年夏)

最近、自身の心境にひとつ明確な変化を感じていた。
モデルとして東京にいることに慣れ始めていたのだ。
前までは、自分はモデルと名乗るに値するのか、この仕事のために東京にいる意味があるか、常に葛藤していた。
私という人間の価値を、モデルとしての自分の評価にそのまま重ね合わせて、キャスティング(仕事のオーディション)に行ったり仕事の合否連絡が来る度に、自分の中で自身の存在価値がまるで株価のチャートのように上下していた。

激しくそんな葛藤を繰り返す自分にとって、彼らと電話で話したり会ったりする時間は「モデルで売れてようが売れてまいがお前の価値は何も変わらん」というメッセージを全身から感じ取ることができて、モデルである自分を良い意味で忘れられる時間だ。
もちろん彼らは意図してそのことを私に伝えてくるわけではない。彼らの意識すらしていない本心が自然と滲み出て、私にそう感じさせるのだ。

学生時代の大きな価値の1つはこれだと私は考えている。
人間関係を構築する上で、社会人と比べて肩書きや年収など、社会における物差しになるような要素が少ない。
しかし昨今では10歳あたりから子供がスマホを持ち始めるという。もちろん彼らはSNSを使っているだろう。
これまでの学生にはなかった数字の競争が、彼らの学生生活には既に蔓延っている。インフルエンサーという職業が耳馴染みのものとなり、フォロワー数で人を見る世界を知る前に、高校生活までを終えられたことを、私は幸運に思う。

話が少し逸れてしまった。
モデルで売れないことに強いストレスを感じて、過食嘔吐を引き起こしていた時期もあった。
生まれて初めて体重増加や酷い肌荒れ、胃の不調に悩まされた。売れていないのにモデルとしてあるべき姿から益々かけ離れていく自分を見て、そのストレスでまた過食嘔吐を繰り返す。地獄のループだった。

そんな私も3年間の間に少しずつ成長した。
モデルという肩書きと、自分のアイデンティティをどう両立させるべきなのか。
モデルの仕事をしながら、我々人間の多くを悩ませる仕事とは資本主義とは何なのかを勉強したりもした。これまでとは違う視点で、改めてファッションモデルという職業の特異さに気付かされた。

MODIFIED 23FALL COLLECTION

そうするうちにモデルとしての自分に下される評価と、自分の存在価値を分けて感じ取ることができるようになった。
今でもその2つを重ね合わせてしまう時もあるが、前ほどではない。
それに伴ってモデルの仕事も増えてきた。
いつしか自分は、人から言われなくても「私はモデルだ」と自信を持てるようになっていた。それと同時に、「モデルとして売れて価値のある人間になろう」から「仮にモデルを辞めたって、この容姿が変わったとて、自分の価値を揺るがず信じられる生き方をしよう」になった。
どちらの方が難しいと感じるかは人それぞれだが、私は後者の生き方に圧倒的価値を感じる。

そんな変化と共に、自分自身にモデルらしさを実感し始めてふと思ったのだ。
高校時代からの友人である彼らにとって、今の私はどんな風に映っているのだろう?
だから聞いてみたのだ。「お前からみて、俺って東京来て変わった?...」
彼は即答した「めちゃくちゃ変わったわ!」
私は少し不安だったのだ。モデルであることに慣れ始めた自分は、何か彼らからみて不必要な違和感や距離を感じさせるような変わり方をしていないだろうかと。
だが彼の言う私の変化は別の意味だった。
日に日に垢抜けていく私の容姿やモデルらしさであり、私が心配していたような変化は何も無いという。聞いた時安心した。
それと同時に、これまで言われたモデルとしてのどの褒め言葉より嬉しかった。
私は自分にとって最も大切だと考えるものの1つが、私が私として存在するだけで価値があると感じさせてくれる瞬間や人だ。彼らはそれだ。
そんな彼らから、「お前頑張ってるな、モデルらしくなったな。」
そう言われることに私は価値を感じるし、続けてきて良かったと思えた。

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自分にとって大切で守りたいもの。それを守るために人は変わり続けなければいけないのだと私は思う。
私を含め、その友人達も1人としてあの高校時代から変化していない者などいない。しかしその変化は我々の関係を揺るがすようなものではない。
私にとってこの友情は、どんなに仕事で大成するよりも、どれほどの大金を手にすることよりも、価値があるものだと信じて疑わない。

この資本主義社会の中で得る肩書きなど、所詮私以外でも成り立つものでしかない。
仮に明日私がモデルを辞めたとしても、ファッション業界は何も問題なく回り続けるし、所属している事務所だって経営が立ち行かなくなるなんてことはない。
もっと売れているモデルならどうかと言われれば、代わりとなる人材が少なかったり、事務所の利益が一時的に落ち込む可能性はある。
しかし必ずその人でなければならない、と私は考えない。というか資本主義社会とはそういうものだ。人が変わると立ち行かないでは成立しないのだ。有名な話だが、スティーブ・ジョブズですら居なくなっても、Appleは未だ世界最大手のIT企業だ。

だが、彼らの友人である私に代わりはいない。
私にとっての彼らもそうだ。
肩書きや名声など、全てを取っ払ったとしても「自分には価値がある」と感じられるものを私は大切にして生きていきたい。
変わりゆく自分の中に変えたくないもの、守るべきものを強く持つことは、幸福な人生を歩むための重要な指針となるだろう。


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