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えっと、もしかして立ててます?

最近テレビを見ると政治家と某宗教団体の関係を問うシーンが多い。

「知らなかった」「覚えていない」「気づかなかった」「秘書から報告がなかった」と様々な回答がなされるのだが、その中で気になるものがある。

これは某政治家の発言だが、他の政治家にも同様の言葉遣いが見られる

もちろん、社会的に良いとは思われていない団体だからこそ関係を問われているわけだが、そのときにこの回答はいかがなものか。

例えば、こんなふうに言い換えたらそのおかしさが分かるだろうか。

犯人宅に伺うまで
偽札を作っているとは存じ上げず
玄関先で一般的なご挨拶をして
退散致しました

① 会場に伺う

「伺う」とは、誰のところへ行くのか、その対象を立てる言葉だ。
つまり、この回答ではその主催者を立てることになる。
立てる意図がないなら、「会場に行くまで」「会場に着くまで」など敬語を使わなければよい。
もし質問した記者を立てるつもりだったというなら「会場に参るまで」という敬語がちゃんとある。

② 存じ上げず

「存じ上げる」もその対象を立てる言葉だ。
「社長とは存じ上げず、大変失礼いたしました」のように使う。
「進入禁止とは存じ上げず、入ってしまいました」とは決して言わない。「進入禁止」は人ではなく立てることができないからだ。その場合は「進入禁止とは存じませんで、入ってしまいました」と言う。
立ててはいけないものは「上げ」てもいけない。
存じ「上げ」てしまったなら、ここでは「イベント」、ひいてはその主催者を立てることになる。

③ ご挨拶

自分の挨拶が人から尊重されて然るべきと考えているのでなければ、「ご挨拶」とは挨拶を聞いてくれる対象を立てる敬語である。
これも、主催者ならびにそのイベントに集まった人々を立てていることになる。

敬語は、発話者が見ている人間関係を表す

政治家の中には、本当に気付かず関係を持ってしまったという人もいるだろう。そして国民も、ちょっとでも関係を持った政治家は全員クビにしてほしいと思っているわけではない。今、一人一人の政治家が政治家としてその団体をどう見ているのか、これからどうしようと思っているのかを知りたいのだ。

そのときに終始一貫して団体をこそ持ち上げられたのでは、関係を断ってくれるとは到底思えない。

もう少し言葉遣いに気を付けてはいただけないものだろうか。

それでは、また。


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世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。