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てるとさんに見る受け手尊重

敬語が表す主要な考え方の一つを私は受け手尊重と呼んでおりますが、それは「責任は自分にあるけれどそれを評価するのは自分ではないと思ってみる」ことと先週書きました。

ここでいう評価とは「お天道様が見ていてくださる」的な広い意味で使っており、単に褒められたり感謝されるだけでなく、試験に合格することや商売が繁盛することや病気が治ることなど、様々なことを指しています。
というのも、人間とは不思議なもので、欲しかった商品がちょうど自分の手前で売り切れてしまっただけで、自分が世界から嫌われているような気がしてしまうものだからです。
そんなふうに思ったことないというポジティブな人もいるかもしれませんが、そんな人でも、昔はそう思っていたはずです。

幼児的自己中心性から、受け手尊重へ

たとえばお父さんとお母さんが喧嘩していると、実際には子どもとはなんの関係もないのに「自分が悪い子だから」と考えてしまったりすることがあります。これが幼児期の自己中心性です。
この自己中心性があるからこそ、泣けばおっぱいが与えられることでこの世界は安心できる場所であると認知し、自分を見て微笑んでくれる大人を見て自分はかけがえのない存在だという認識を持つことができます。これらが健全な自尊心の礎になるのです。

しかし、自分が困っていれば黙っていても誰かが手を差し伸べてくれ、自分が何をしようと誰もがほほえましく見守るなどということは永遠に続くことではありません。
この世界と自身への信頼が確立できたら、次は世界と他者から自分を分ける過程が始まります。そこでは、他者が泣いているからといって自分が泣く必要はありません。もし二人が泣いていても、それは全く異なる原因によるものかもしれません。困っているときには「困っているので助けてください」と言わなければ他者には分からないし勝手に助けてはくれないので、思っているだけではなく自分から能動的に動き他者に働きかけることを学びます。
そうやってやがては、両親の喧嘩を見てもそれは両親の問題であるとして、自分から切り離せるようになっていきます。これが、主体尊重のもとになります。
そのうえで、では両親が仲良くするために自分に何かできることはないだろうかと考えられるようになれば、受け手尊重ができるようになったということです。

これを踏まえて、再度てるとさんのコメントを見てみましょう。

相手を自分に合わせようとせず、
自分から、相手に合わせる

てるとさんは、ミニチュア・クリエーターとして良い作品を作るために
日々課題と向き合い乗り越え続ける方です。

いかがでしょうか。私が、受け手尊重の極みがこの言葉に詰まっていると言った意味が伝わるのではないでしょうか。

受け手尊重は、単なるビジネスマナーではなく、なんなら人に対してだけ持つものでもありません。お天道様はじめ、自然現象など人にはどうにもできないことを受け入れ祈りながら生きてきたこの生き方を、人に対しても行うことを受け手尊重と命名しただけです。
身体ばかり大人になっても、悪いことが続くと自暴自棄になったり逆恨みしたりするものですが、てるとさんは違います。思い通りにいかないことがあってもそれをワクワクしながら乗り越えていかれているように見えます。(きっとそう見えるのは私だけではありませんよね?)それは、目の前に起きた事柄をありのまま受け入れ、そのうえで主体的に捉えなおし、能動的に工夫していく数々の記事がそのように見えるのです。

次回は、この受け手尊重と似て非なるものを補足説明しておきたいと思います。

それではまた。


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世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。