認知バイアスと敬語~④行為者ー観察者バイアス
先日、『犯罪心理学者は見た 危ない子育て(SB新書 出口保行著)』の読書感想文にて、4つの認知バイアスを紹介しました。
本書によると、これらの思い込みを手放すことは、子育てに限らずラクになったり、この先余計な苦しみを抱え込まずに済んだりするそうです。そこで、本書で紹介されていた4つの認知バイアスを一つずつ、敬語の観点から説明していきたいと思います。今回は、四つ目の行為者ー観察者バイアスです。
行為者ー観察者バイアス
子どもは「太郎ちゃんがバカって言ったからぶった!」と自分が人に暴力を振るった原因を他者のせいにします。これを、「太郎ちゃんはそう言わざるを得なかった」と考えるのが主体尊重であり、「(主体側が)そう言わせてしまった」と考えるのが受け手尊重です。ここでいう(主体側)とは、多くの場合自分側を指します。
他罰的で自分を被害者と捉えるのが幼児的なら、自罰的で自分を加害者だと捉えるのが大人かといえば、それもおかしいですよね。ここでいう「(主体側が)そう言わせてしまった」というのは、その状況に責任を持ち主体的に受け止めるということです。「自分が悪かった、自分はダメな人間だ」が自罰的だとすれば、敬語では「自分が悪かった、どこをどう変えれば太郎ちゃんにそんなことを言わせずに済んだろうか」と考えるということです。
例えば子どもが万引きをしたときに、「最近、仕事が忙しく構ってあげられなかったから寂しい思いをしていたんじゃないだろうか」「こないだ財布から小銭がなくなっていたとき、まぁいいやと思って流してしまった。きちんと確認しなくてはいけなかったのに……」と自らを反省してくれる親なら子どもが立ち直るきっかけになるかもしれません。しかし「これまで育ててやった恩を仇で返すようなことをして!お前のような子を持って恥ずかしい!」と責められたら子どもはどうなるでしょうか。
「私の子ども」という言葉は愛情表現かもしれませんが、別人格である以上、一定の敬意は必要です。いえ、未熟な子どもだからこそ、敬意を払われることで健全な自己肯定感をもち、親から独立した人格として自分の人生に責任を持てるようになっていきます。
子どものせいするばかりではありません。上司のせいにし、部下のせいにし、客のせいにし、配偶者のせい、親のせい、社会のせいにする人生は、どう想像しても、楽しくなさそうです。
また、自分の行動だけでなく、自分の身内や好きな人にもこのバイアスは働くことが多いように思います。例えば同じように汚職をしても、自分が支持する政党なら「日本のため、政治活動のためにやむなくやった」と解釈し、自分が反対する政党なら「遵法精神に欠けた人間に政治を任せるわけにはいかない」と考えるようなものです。
敬語を使うことで、自分の感情や無意識のバイアスから自由になった視点でものを見ることができます。
それでは、また。
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世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。