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『ゴリラからの警告』人間はゴリラなのか、チンパンジーなのか、それともサルなのか~読書感想文#34

「カズレーザーと学ぶ。」という日本テレビの番組をご存知でしょうか。

実は、この文を書くまで、カズレー「サ」ーだと思っていました(/ω\)

さて、この番組で、元京都大学総長、総合地球環境学研究所 所長・山極壽一先生のお話がありました。

日テレのまとめサイトから引用します。

ゴリラは10頭〜15頭ぐらいの家族的な集団で暮らし、チンパンジーは共同体的な集団で暮らす。家族的な手段は見返りを求めず奉仕し合う組織、共同体は何かしてあげればお返しがくる互酬的な組織。人間は家族と、複数の家族を含む共同体という重層構造を持つ唯一の社会

これが私には結構衝撃でした。
家族が右翼なら、共同体は左翼、
家族が情なら、共同体はビジネス、
とも言い換えられるんじゃないかと思ったんです。
それを両立するという無理難題が人間社会が抱える根本的な問題であり、
だから、「こっちが正しいんだぁ~!」と声を張り上げる極端な思想が生まれるのかぁ、、、と。

そして、そんな両立が難しいことを両方やると決めたのが人間なんだなぁと。

こりゃぁ、大変だぁ…。

では、この本から気になったフレーズを拾い出してみましょう。

『ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」』山極寿一

矛盾する二つの原理

なぜ類人猿は家族とコミュニティーを組み合わせた社会を作れないのか。その理由は家族とコミュニティーはそもそも維持される原理が違うからだ。家族は見返りを求めない援助と協力によって、コミュニティーは集まることで利益が得られるような互酬性や規則によって、それぞれ成り立っている。しばしばこの二つの原理は拮抗する。地域社会の厄介者が家族では最良の父親という場合や、ある組織ではみんなの尊敬を集めるリーダーが家族の中では嫌われ者という場合があるのだ。その矛盾に耐えられないから、サルや類人猿はどちらかの原理により強く依存して群れをつくる。

p.38~39 

「群れない」の在り方

一方で、京都大学には「京大生は群れない」という学風があるらしい。

「群れない」とは「他者と安易に迎合しない」という意味であり、対話を通じて他者の意見をよく聞きつつも、自他の意見の相違を自由に展開するという精神なのである。

p.106

群れないとは言っても、現代日本の情勢は京大生のそれとは少し異なるようだ。

極論する人はいるが、(中略)議論に割って入る人は現れず、互いに自説を曲げずに相手の議論の不備をののしり合うだけのように見える。

p.131

自分を支持してくれる人の意見ばかり聞いていれば、やがては裸の王様になって判断が鈍る、ぜひ、談論風発を駆使して傾聴できる議論を展開していってほしいものである。

p.132

まさに正鵠を得ているとは思わないか。

人間の理性=感情の進化+思考

動物にも社会はあり、トラブルは起きる。動物と人間との違いとして、人間の理性は感情の進化に思考が加わったものだというのだが、実際のところ、どうだろうか。

<サルのトラブル対応>

当事者がどちらも自分と親しくなければ、あるいは自分より強ければ介入しない。親しければ加勢するが、(中略)強いサルに加勢してトラブルを抑えようとするのである。

p.170~171

<ゴリラやチンパンジーのトラブル対応>

どちらか一方に加勢するよりもトラブルそのものを収めようとする。ゴリラは攻撃したほうをいさめるし、当事者より小さいゴリラが介入することもある。チンパンジーもよくけんかに割り込んで仲裁するし、傷ついた者を抱いてなぐさめる。これはゴリラが体の大きさにとらわれずに互いに対等でありたいという気持ちを、チンパンジーはトラブルが広がることをおそれる気持ちを強くもっているからだ。

p.171

このように見比べると、サルのようなトラブル対応をする人が多くないだろうか。
このような文章もあった。

サルは自分の利益を減らしてまで仲間を助けようとはしないし、子孫の時代を気にかけたりもしない。

p.179

この文章を少し変えてみようか。

■ 政治家は自分の票を減らしてまで国民を助けようとはしないし、子孫の時代を気にかけたりもしない。

■ 日本の高齢世代は自分の年金を減らしてまで子育て世代を助けようとはしないし、子孫の時代を気にかけたりもしない。

いろいろ文章が作れそうだ。

これなら、ゴリラやチンパンジーのほうが人間よりもよほど人間らしいと思ってしまうのは、私だけだろうか。

人間の安全保障

これは、経済学者のアマルティア・センが考える現代の課題だという。

国家は国の利益を優先するために、人間の安全を犠牲にすることがある。紛争や災害に悩まされる個々の人の権利を守るためには、国家ではなく人間を中心に考えることが必要だ

p.180

そして、オバマ前大統領の「戦争はどのような形であれ、昔から人類とともにあった」という言葉を取り上げて「私はここに世界の暴力に対する大きな誤解を感じずにはいられない(p.183)」として「日本が武力を強めていく将来(p.186)」に強く異を唱える。
そして、「人間はテリトリーを持つようには進化していないことを思いだすべきだ。地球の土地を世界の人々が共有する新たなときがきているように思う。(p.191)」と言う。

日本は島国で、日本と言ったときに国境が自然な線と重なっている。一方で、民族も地形も何の関係もなく直線で引かれた国境も数多くある。この国境が起こしている紛争も多い。日本の平和だけでなく、世界の平和を考えたときに、必要なことではないだろうか。もう、世界から独立して日本だけの平和を守るのはナンセンスだ。そして、他国を恨み、過去にとらわれるのをやめるためには、様々な国から見た自国の歴史を学ぶ姿勢が必要だろう。

もしゴリラの目から見た人間の歴史があったとしたら、人間は極悪非道な存在だろう。それでもゴリラはこの著者をコミュニティに受け入れた。人間はゴリラ並みになれるだろうか。

それでは、また。

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