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人工知能あれこれ

今年もあと2か月をきりました。2023年はAI利用が急速に普及した年と言ってもいいでしょう。筆者はOpenAIが提供するChatGPTで遊んでましたね。数行のテキストを入力するだけでどんな質問にも答えてくれますからね、凄いものです。

今回は生成AIについて考察してみました。筆者の興味はAIのメカニズムというよりこのテクノロジーを利用する人間にあります。

目次

生成AIの楽しさ
プロンプトエンジニアリング
美人画
写真の没落?


生成AIの楽しさ


テキスト生成AIであれ画像生成AIであれ、同じプロンプトでも出力結果がその都度異なるのが普通です。これは仕組みからそうならざるをえないのでしょう。これは結果が偶然に左右されるということでしょう。一発で望んでいるアウトプットがなされないのを歯痒いと感じる一方で、ワクワクもします。次はどんなテキスト(ないし画像)が出力されるのだろう、という待つ楽しみがあります。待つといってもせいぜい数秒なのでイライラすることも少ない。もちろん期待が裏切られることもありますが、それも楽しみの一部のように感じます。こう考えると生成AIには遊びの要素があるのかもしれない。最初からプロセスと結末が一つに決定されたゲームなんておもしろくないでしょう。一本の、障害物も敵もいない通路を直進移動するだけのテレビゲームなんて誰もプレイしたいと思いません。RPGゲームを例にとると、次の瞬間モンスターが出現するかもしれないし、しないかもしれない。そういう予測不可能なシチュエーションだからこそおもしろいのです。生成AIを利用するのはこれに似ています。Bing Image Creatorに「電車に乗る猫」と入力する。生成される画像が電車の座席上で眠る猫なのか、電車にまたがる猫なのか、なにが出るか決定されないところに面白味があるのでしょう。テキスト生成AIも同じことです。

プロンプトエンジニアリング


生成AIに要望通りに答えてもらうにはテクニックがあります。この技術を研究する分野を「プロンプトエンジニアリング」といいます。この一年だけでも数多くの論文が発表されました。基本的なものから応用技術まで。すくなくとも、向こう数年は社会人が身に付けるべき基本スキルとして持ち上げられそうです。その先はよく分かりません。筆者自身の経験から言うと、このテクニックは国語力と思考力、あと英語力のある人間が力を発揮しそうです。生成AIから自由自在に質の高い回答を引き出すには、明快かつ正確な文章が必要です。ですから作文能力のある人間、もっと言うと論理的な文章を書ける人間が有利だと思います。国語力が必要になるのはプロンプト作成時だけにとどまりません。テキスト生成AIの場合、長く難解な文章を出力します。しかもGPTモデルが出力する文章は決して読みやすいタイプのものでもないでしょう。AIの回答を読解するためにも国語力が必要になります。話がプロンプトエンジニアリングから逸れますが、筆者はCHatGPTが今後日本語に少なからず影響を与えるのでは、と考えています。CHatGPTが出すテキストは基本的に簡潔で質素な文です。いいかえると文彩やレトリック(比喩など)を欠いています。(希望すれば装飾過多の文章も書いてくれますが。)もしこれから生まれてくる世代が幼少時代からCHatGPTに触れるとなると、話し言葉も書き言葉も「CHatGPTがデフォルトで出力する言葉」に影響を受ける可能性があります。極端な事例を想像してみましょう。夫婦共働きの一人っ子がいるとします。学校から帰宅したこの子が両親が帰ってくるまで、生成AIを使って勉強したり、TRPGで遊ぶかもしれない。あるいは寂しさを紛らわすためにAIとおしゃべりするかもしれない。こんな感じで子どもがAIと「言語コミュニケーション」をする時間が増えれば、その言語使用に影響を受けると予想するのが自然です。10年後、公園で子供たちがChatGPTっぽく発話してたら面白い。もっとも将来的にAIは論理的な書き言葉から自然な話言葉に変わっているかもしれませんが。言葉に限らず今後生まれてくる日本人が人工知能と交わる中でどんな能力を持つようになるのか興味があります。

美人画


ここ数カ月生成AIが作成した美人画がネットに溢れている。2次元もあれば3次元もある。ほとんどがエロチックなもののように思われます。ずっと昔、マンガ「こち亀」でビデオデッキが普及したのは皆がエロビデオを見たかったから、という説明がなされていました。記憶違いかもしれないが、説得力がある。画像生成AIなら誰でも簡単に自分の欲望を表現できるからビデオデッキよりも素早く普及するかもしれない。テクノロジーを普及させるのは性欲か。

写真の没落?


1839年、フランスのルイ・ダゲールが銀メッキした銅板を感光材料として使う「ダゲレオタイプ」という技術を発表した。その後写真技術は世界中に広がりましたが、その特質はなにより、極めて精確な被写体像を作れることです。技術改良により誰でも短時間で簡単に写せるようになった。写真は過去の人物、物、出来事の記録であり、長らく私たちは被写体の実在を素朴に信じられました。しかし画像・動画生成AIを使えば容易にリアルな「写真・動画」を作れてしまいます。被写体が反射する光によって生まれる画像ではなく、純粋にデータから生まれる画像です。こうなるともう世に出回る画像や映像を信用できなくなります。人工知能による判定ソフトもあるようですが、100%見抜けるのでしょうか、怪しいです。この問題についてはnoteの別のアカウントで記事にしたのでそちらを参考にしてください。


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