ある日、珍しく定時で上がった私は、どうしてか小学生の頃の通学路を通って帰宅していた。表通りはまだ明るかったが、一本裏に入った途端に、明るさも温度も数段下がったように感じられる閑静な道だった。 夕闇が迫る路地でその洋館は、ひっそりと浮かび上がっていた。 鮮やかな躑躅を傍に従えた白いコリント式の柱には、所々黒い汚れや小さな罅があったり、蔦が巻き付いたりしていたが、決して心ぶれた様子はせず、趣があった。その数歩先にある艶消しの茶色い重厚な扉に嵌め込まれたステンドグラスは、塵一
永遠の17歳に憧れていた
今までに撮った写真を整理した。よくもまあこんなに写真を撮ったもんだなと。 一番多い被写体は空。大抵夕焼けか飛行機雲。改めて見返すと別に特筆するような空ではないけど。毎日のように河川敷に行って夕焼けを撮っていた。母に代わって家事をするようになってからは、夕方に写真を撮りに行くことができなくなってしまった。撮りには行けなくても、毎日空を見上げるようにしていたら、何かが変わっていたかなあ。
春の薫りのする、すっきりと晴れた昼下がりだった。北国の3月頭だというのに、もう冬の匂いはどこにも見当たらず、コートも要らないような暖かさだった。まるで4月下旬のような気温と風の薫りに温暖化の影響を感じつつも、春の陽気に誘われて皆ふらふらと公園を散歩していた。子どもたちは楽しげに声をあげながら柔らかな土の上を走り回り、老夫婦は仲良く並んで頭上を飛び去る渡り鳥を見送っていた。僕は今年初めての自転車の試運転がてらこの公園に来たところだった。 彼女はベンチに腰掛けていた。 彼
多分短歌
高三の秋。生まれて初めて魚を捌いた。 母が体調を崩し、その頃は1年以上私一人で家事をしていた。洗濯は嫌いだったが、料理に関しては元より嫌いではなく、母が健康な時にも時折していた。特別家事を苦だとは思わず、むしろいつか自立する時に備えられるありがたい期間だ、と考える私を、当の母含め周りの大人は少しだけ奇妙なものを見るように眺めていた。 その日は旬の秋刀魚を食べようと思い立った。 スーパーで尾の黄色い秋刀魚を2匹買い、俎に出し、さあ、と包丁を握ったところで、これまで魚を