アメリカ留学で頑張れた理由。夢はまだまだ。でも実現するよ。

今まで17年間のアメリカ生活の中で数えきれない程の辛い局面に直面してきたと,言いたい所だが,もう駄目だという感じにはなった事はない。自分の中で常に思ってきた事は,どんな状況であれ,現在の自分達は昔の日本人に比べると色んな意味で”裕福”になった。死と直面する機会は限りなく少なくなった。自分は宮崎県という田舎町で育ち、鹿児島知覧にも,長崎と広島原爆地にも小学生で行く機会があった。小学6年ながら,戦時中15-20歳という若い歳で命を落とした沢山の日本人の存在を知り,昔の日本人に恥じない生き方をしようと心に誓ったのを今でも覚えている。特に,知覧特攻平和会館で涙を流したのをしっかり覚えている。右翼的考え方だと言われたこともあるが,決してそうではないと思う。昔の日本人が犠牲になったからこそ,今の日本がある。亡くなった,日本人の方々は,更なる日本の発展を希望し,更なる裕福,日本が世界で誇れる様にと思って,沢山の人が亡くなったのだと自分は思っている。好きな家族,両親,最愛なる妻,夫,相手は誰であれ,自分の大切にしている人に会えずに人生を終えるのはあまりにも酷すぎる。この様なことが当たり前だった1945年またそれ以前。あまり遠くはない日本の歴史。胸が熱くなるのは自分だけではないはずだ。最近では,スポーツの世界で海外挑戦するのをよく見かけるようになった。自分がアメリカに来た時にも,ちらほら,見かけたが,今ほどではない。色んな分野で世界を舞台に活躍する日本人を見ると自分もまだできると,37歳になる自分の心が引き締まる。日本は凄いんだと世界に知ってほしい。ただそれだけ。自分は外科医としてできる事は限られている。しかし,自分が見た患者さんには真摯に向き合って,日本人の外科医って凄いんだねと少しでも思ってもらえるように日々頑張らないといけない。でないと,戦争中,志し半ばで亡くなっていった先人に合わせる顔がないと思うのは自分だけではないだろう。職業は何であれ,こういうprofessionalな姿勢を持つことは間違いなく大切。世界で頑張る日本人は沢山応援したいし,そういう存在であり続けたい。だから世界での慈善活動という将来の夢があります。応援よろしくお願いします。

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