見出し画像

『ブラック・ウィドウ』を観ました。

殺し屋として育てられた妹ちゃんが、同じように育てられたブラック・ウィドウお姉ちゃん(スカーレット・ヨハンソン)に言うのだ。
「お姉ちゃんさあ、あのアベンジャーズとかでかっこよさげに足開いて着地してるでしょ、そんとき長い髪をバサって上にあげる仕草するじゃない、あれってセクシーさを意識してやってんの?」

今までさんざん男性目線で作られてきたヒーローものを、真っ向から茶化してくるのである。

今作の主人公ブラック・ウィドウは女性で、ヒーローもの初挑戦の監督ケイト・ショートランド(『さよならアドルフ』など)も女性だ。そして、妹ちゃんはあの『ミッドサマー』のヒロインのダニーを演じた(情けない男たちを地獄の楽園に導いた)フローレンス・ピューである。

今作は「私たちがブラック・ウィドウお姉ちゃんの最後を、明るく見送ってあげようじゃないの」的な作品である。ブラック・ウィドウお姉ちゃんは既に他の作品で最後の姿が描かれていて、その間になにがあったのかを描いているのである。
そして今作は、ヒーローアクションものでありながらコメディー色が強い。

殺し屋として育てられてきた人生である。悲惨で過酷に決まってるのであるが、そんな泣き言を言ってるような女性キャラクターはいない。逆に、男たちは過去をいつまでも引きずっているし、頼りないし情けない姿だ。

私の勝手なイメージであるが、武力に訴えるような事件が起きたときに、男性はパニックになって頼りないが、女性は持ちこたえる力を持ってるように思ってしまう。それは "沖縄戦" とか "満州からの引き揚げ" とかで読んだせいかもしれない。子供のために信じられないくらいの力が出たりする女性の話はとても多い。

ヒーロー娯楽映画であるのに、家族というのも描かれている。
『血が繋がっているから家族』ということではあるが、今や家族の形も様々あるので、『家族みんなで家族という繋がりを作ろうとする』という、気持ちで繋がろうとする家族だってあるのだ。ついついアクションシーンに夢中になってたら、不意打ちのように家族への気持ちが出てきたりして、思わず感動させられてしまったところがあった。

ブラック・ウィドウの関連作品は9作品くらいはあるようで、もちろんそれを先に観てた方が「おーっ、ここがあの作品のあれに繋がるのか」なんて気持ちが上がるとは思いますが、全然観てなくても楽しめる作品になっています。
私は今作を観てから、他のブラック・ウィドウお姉ちゃんをまた観たくなって、順番に見始めてしまいました。

今作を見たきっかけはお姉ちゃんのスカーレット・ヨハンソンですが、予想もしなかった妹ちゃんのフローレンス・ピューが最高すぎました。劇中で姉妹が並んだだけで笑ってしまうって、なんだか奇跡的な組み合わせな気がします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?