もしも山田太一の脚本だったなら。
ホームドラマというジャンルであっても、その描き方で作り手の伝えたいことは違ってきます。『どういう人が、どういうことをしてきて、最後はどうなるか』によって全然伝わるものが違ってくると思います。
では例えばのお話しを出してみましょう。
このようなあらすじのホームドラマから伝わってくることはなんでしょうか?
私は『妻という役割の大変さと、それでも生きていこうとする強い意思』が伝わってくるように思います。同じような立場に置かれていれば「よくぞ描いてくれた」と激しく同意する方がおられるかもしれません。
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かつて辛口ホームドラマと言われた作品があります。山田太一脚本のものが私は好きでよく観ていました。私にとっての山田太一作品の魅力というのは『作り手の伝えたいことを優先させて登場人物を動かさない』というところです。
もしも山田太一の脚本だったらということで、架空の話を作ってみました。
はじまりや設定は同じスタートラインとしましょう。
こういうお話になると、スタートラインは同じで主人公に起きる事が同じであっても、ひとつめのお話しとは伝わってくるものは全く違ってくるように思います。ひとつめのお話しは『いくつもの困難に負けずに頑なに自分を生きていく』であって、ふたつめのお話しは『自分の思い描いた生き方を放棄して楽になる』というようなものが伝わるお話のように思います。
山田太一の脚本はストーリーに登場人物が合わせるようなことはしないで、お互いの存在がお互いの思いでぶつかります。それで化学変化みたいに燃え上がり、行き着く先は作り手の思っていた通りにいかなくても、それを無理に変えたりせずにそのままにして終えるような感じがします。
あるドラマシリーズ(『男たちの旅路』)では主人公の『自分はこういう昔かたぎの生き方しかできない。今の若者はたるんでいる』みたいなお話しが、シリーズが進むと主人公に関わってきた若者によって、完全に主人公の考えが崩れるような事態になります。
あるホームドラマでは父親の思い描いていた家族の崩壊を描き(『岸辺のアルバム』)、他の作品では崩壊した家族の父親のその後の話を描いたりもして(『春の一族』)、決まったテーマでお話を書くような作家ではなく『終わりなき自問自答』を続けている作家と思います。
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東日本大震災や新型ウイルスがもたらしたものっていうのは、『今まで通りの考えにしがみついては生きていけない』ってことかと私は思っていて、その流れに沿っているお話は後者の『自分の思い描いた生き方を放棄して楽になる』方かと思います。
なにしろ私が引っかかったのは、家族に起きることや家族が持ってきてくれたものが妻にとっては「自分の生き方を壊す面倒なもの」として片付けられているように見えたことです。
起きたことは否定すればそれで終わりで、もし受け入れたり歩み寄ったりすることで今まで知らなかった世界を知ることができるかもしれない。そういうチャンスをいくつも自ら潰して「これからも私はこうやって強く生きていく」みたいなお話として私には見えたのです。
こんなお話にわざわざ映画館まで行って時間とお金を費やしてしまったことが、なんだかくやしかったのでした。
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