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ノワール映画と石井隆

●ノワール映画の発生

ノワールの映画が好きなのである。なのに、自分がなんでノワールの映画が好きなのかがよくわかっていない。
ノワールっていうのはフランス語で『黒』とか『闇』って言う意味で、ノワールの映画っていうのは犯罪や裏社会をテーマにしている映画のことを言う。

どうせ見るなら明るいものや、人が幸せになるお話を見ればよいではないか。そういう作品を見て、「私も明日から前向きに元気に生きていこう」と思えばいいではないか。なのに1950年代後半に楽観的なハッピーエンドのお話の反動みたいに、人が破滅的な生活に落ちいったり、絶望するお話が出て来た。光に対する影みたいなものであろうか。

そういう闇を描いているような映画のことをフランスの批評家(ニーノ・フランク)が「こういう感じ映画をフィルム・ノワールと呼ぶことにしよう」となったらしい。

ここでは映画のジャンルでもあるノアールを入口にして、石井隆監督の作品(成人映画)を紹介しょうという試みです。女性の人にも伝わるように書けないかと書いてはいますが、少しでも不快に思われる方は読み進めないようお願いします。

●ノワール映画とは?

なんでもかんでも暗ければノワールというわけでもないようで、舞台設定が現代の大都市だったり、 テーマが犯罪、詐欺、離別、精神疾患だったりするのが特徴で、例えばこんなお話がノワールです。
切羽詰まった状態の男性主人公のところに、謎めいた女性の登場人物(ファム・ファタール)が現れる。女性によって男性主人公はヤバい事件に巻き込まれてしまい、救いようのない方向に転落していって、最後は絶望で終わる。

こんな話が何故だかアメリカ(ハリウッド)で次々に作られて、他の国でも作られるようになっていきます(香港とか韓国でも)。
日本では黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る(1958)』や『天国と地獄(1963)』とか、石原裕次郎主演の『錆びたナイフ(1958)』なんかも日本のノワールと呼ばれます。
キタノ・ノワールという言葉もあるくらいの北野武監督の『その男、凶暴につき(1989)』や『3-4X10月(1990)』や『ソナチネ(1993)』などは、ノワール発祥地フランスでかなり受けていました。

私は特に『3-4X10月(1990)』と『ソナチネ(1993)』が心地よ過ぎて、何度も(20回近くは)観ています。夜中にこの映画を見ると、自分が水の底に沈んでいくような、取り返しのつかないようなおかしな感覚に包まれます。


●誰にもはおすすめできない映画

こういう映画は男性にこそすすめたりしますが、女性にすすめたことはありません。
おそらく男の脳ではこういうお話が気持ち良く感じても、女性の脳では拒否反応が大きいのではないかと思います。
私は男性でノワール作品が好きなのですが、同時に「なんでこういう作品を見たいと思うのか」がよくわからなかったりしますし「なんでこういう作品を心地よいなんて思うか」が少し謎だったりします。

私は北野武監督作品が好みという人には、石井隆監督作品をおすすめします。
石井隆監督の作品は、ノワールのツボみたいなものを完全に見定めて押してくるように感じるのです。

初期は成人映画(一般映画は『GONIN (1995年)』など)ですし、これは女性にはおすすめなんてできません。エロいしバイオレンスだし絶望しかないような世界です。

例えば、子供向けのアニメ映画が、より子供に受けるように日々進化して、子供が喜ぶツボみたいなものを外さず押してくる。女性向けの韓国映画が、より女性に受けるように日々進化して、女性が喜ぶツボみたいなものを外さず押してくる。
これと同じようなものが、石井隆監督の作品にもあるような気がします。

男向けのノワール映画が、より男に受けるように日々進化して、男が喜ぶツボみたいなものを外さず押してくる。
だけど観る対象者は開かれてはいなくて、男向けノワール映画は子供や女性が見るものではありませんし、すすめることも出来ません。

そういう作品を「エロが目的でしょ」とか「暴力を助長している」とか「下品で低俗な作品でしょ」と片付けられることも多いように感じます。
そこをなんとかうまく伝えられないだろうかということで、私は今回これを書いています。

●石井隆監督おすすめ作品3本


『天使のはらわた 赤い眩暈(1988)』

妻には逃げられ、会社もクビになった村木(竹中直人)がやけになって車を走らせていると、22歳の看護婦の名美(桂木麻也子)をはねてしまう。名美は病院で二人の患者に犯されそうになり、ショックで家に逃げると結婚を考えていた同棲中の彼氏が、別の女と抱き合っていたのだった。

https://moviewalker.jp/mv17782/

竹中直人が出ている石井隆監督作品にハズれなしです。
桂木麻也子の線の細い感じが名美の境遇と合っているし、終わりの切なさや、他では通常しないような映像の見せ方(終盤)にはかなり驚かされました。柄本明の存在感も見事です。


『ヌードの夜(1993年)』

何でも屋の村木(竹中直人)の事務所に、依頼人の名美(余貴美子)が訪ねて来くる。「東京に出て来て右も左も分からないので、観光案内をして欲しい」と言う名美を、村木は東京の名所を案内して回って無事依頼をやり遂げた。
その夜、名美から電話で「急遽帰ることになったので、ホテルに預けた荷物を自宅に送って欲しいと」言われる。指定されたホテルの部屋に行ってみると、そこには何と男(根津甚八)の変死体が転がっていたのだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヌードの夜

こんな奇妙な話は他に知らない。石井隆監督作品で一番好きかもしれない。
スーツケースに入った死体の男(根津甚八)を兄貴と慕う椎名桔平が、ギラギラと歪んだ光を放っていて目が離せない。


『甘い鞭(2013年)』

不妊治療医として活躍する奈緒子(壇蜜)は、SMクラブのM嬢“セリカ”としての顔も持っている 。この奈緒子の二重生活には17歳の頃に遭遇したある凄惨な事件が関係しているのであった。

https://movies.yahoo.co.jp/movie/345381/

32歳の奈緒子の壇蜜と、17歳の奈緒子の間宮夕貴の存在が素晴らしい。
原作は大石圭による2009年発表の官能ホラー小説で、拉致監禁、レイプ、トラウマ、SMといった衝撃的な題材を取り扱っている。
狭い空間の舞台に過去の話が出てくることで、奈緒子の内面が深く掘り下げられていくような、不思議な感触のある作品。

●シビれるノワール映画

ノワール映画で社会的に落ちていく人を見てしまう、なんだか目が離せなくなってしまう。そんな崖っぷちの綱渡りみたいをしている人を「落ちてしてしまえ」と思って見ているのか、「なんとか無事渡っりきって欲しい」と思って見ているのか?

映像を見てはいても、自分は絶対に映像に中には入りたくはない、関わりたくはない。子供の頃に恐ろしいモンスターが出てくる映画を、身体全体を毛布に包まって、目だけを出して見ているような感覚。怖いけど何故だか見たくなる。
ノワール映画を見てシビれているのは私だろうか、私の脳だろうか?

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