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「ガラパゴス化」って、気安く言わないで! 20210915解説

私のクリエイターページのトップに貼ってあるのは、ガラパゴスゾウガメです。サンタクルス島高地の「ドーム型」、2009年現地で撮影したものです。それ以来12年、現地はごぶさた。

ガラパゴスとはどういう関係で?

私がはじめてガラパゴスを訪れたのは1999年でした。とある調査業務のメンバーとして、よくわからないまま行ってみたら、、、感動しました。

何に感動したかというと、「生き物が人間をおそれない、逃げない」という事実です。

そのような場所が、この地上にまだ存在するのか、という驚きです。

一方で、ガラパゴスには、人が住んでいました。それも、10人とか100人とかというオーダーではなく、万単位で、です。

とくに生き物に興味のなかった私ですが、ガラパゴスとの出会いにより新しい興味の扉が開き、サステイナビリティに関する理解を深めるきっかけとなりました。

その後、2005年にNPO法人日本ガラパゴスの会を立ち上げるに際し、発起人、理事となり、最初の6年は事務局長をおおせつかっていました。

https://www.facebook.com/jagalapagos/

9月15日はダーウィン上陸の日

さて、今から186年前の今日、1835年9月15日、チャールズ・ダーウィンがガラパゴス諸島に上陸しました。

このときは、本人もまったく想像もしていなかったでしょうが、ダーウィンがガラパゴスで行った観察や標本収集が、のちに進化論(1859年)につながります。

その結果、ガラパゴスは「進化論のふるさと」「進化の実験室」として知られるようになるのです。

進化論100周年の1959年に、ガラパゴス諸島における大規模な調査が行なわれ、1960年代に、国立公園(エクアドル政府組織)と、国際NGOチャールズ・ダーウィン財団が設立され、行政と科学の両輪となってガラパゴスの保全に取り組むようになりました。

このため、ダーウィンが訪れた当時のガラパゴスは、今でもほとんどそのまま残っています。なぜなら、ガラパゴスの陸地の96%が国立公園として保護されており、また海も海洋保護区として保護されているからです。

そして1978年、ガラパゴスは、世界遺産条約にもとづき、世界自然遺産第1号(の1つ)となったのです。

いつから、ガラパゴス化?

「ガラパゴス化」という言葉が使われるようになったのは2008年ごろからです。

そのころ、ガラパゴスは外来種問題が深刻化し、2007年に危機遺産(このままだと世界遺産としての価値が失われそうだよ)リスト入りしていました。

南米大陸から1000kmも離れた火山群島は、幸か不幸かたどりついて命をつないできたユニークな生き物たちの楽園でした。

しかし、そこに多くの人間が居住し、物資の輸送等に伴って、本来海を渡れなかった多種類の外来種がヒトの居住エリアに侵入し、さらに保護区域内にも侵入し、定着するようになったからです。

そのころ、日本は、失われた10年、20年といわれるように、生産性は(今でもそうですが)先進国最低レベルで伸び悩み、中国にGDP規模で追いつかれつつあり、追い抜かれるのも時間の問題となっていました。

そして、リーマンショックが世界経済に襲い掛かりました。リーマン・ブラザーズが経営破綻したのは、奇しくも?9月15日(2008年)。

弱くなった日本経済は、強くなった中国経済やアメリカ発の経済不況の波に吞み込まれて、将来どうなるのだろう?

島国という狭い特殊市場環境に過剰適応した日本企業は、グローバルな国際競争の荒波を生き残れないのでは?

・・・という危機感が、外来種問題で危機遺産入りしたガラパゴスの状況と、表面的なアナロジーとしてはシンクロしやすかったのでしょう。

「ガラパゴス化」という言葉は、またたくまに広まり、大衆化しました。「ガラケー」は、すっかり日常用語化しました。

科学的には意味不明な言葉ですが、マーケティング的には大成功です。

今となっては、単に「世界から遅れている」とか「取り残される」とか、普通に言えばよいだけのことを言うのにも使われるようです。

そのうち、「日本にならないラストチャンス」とか外国人に言われないように。

ちょっと想像力を働かせてみてください

「ガラパゴス化」「ガラケー」と口にするとき、その人に積極的にガラパゴスを揶揄する意図はないとしても、その言葉が使われるたびに、ガラパゴスの価値がおとしめられていることは間違いありません。

前述したように、ガラパゴスにはユニークな生き物とともに、万単位の人々が現に暮らしています。

ガラパゴスの生態系・生物多様性、自然の進化のプロセスを守るために現地の、そして世界中の、多くの人々が努力し、資金を拠出しています。

もちろん、日本からもですよ。

レオ様の44億円にはかないませんが。

21世紀、ガラパゴス=持続可能性の実験室

21世紀の現在、ガラパゴスは「持続可能性の実験室」です(と、私は思っています)。後付けになりますが、2000年代前半までは、ガラパゴスの保全は、SDGsのゴールでいえば、次の2つでした。

14:海の豊かさを守ろう←海洋保護区
15:陸の豊かさを守ろう←国立公園

ただ、そこに住む人々、社会、経済の視点が抜け落ち、保全の網がカバーしていないところから外来種問題が深刻化していったわけです。

そこで、危機遺産リスト入りを機に、ガラパゴスに住む人々こそが、ガラパゴスの守り手となれる社会経済をつくるという方向に保全側の考え方が大きく変わりました。SDGsでいえば、これ。

17:パートナーシップで目標を達成しよう←住民は保全の敵ではなく仲間だ

そのために重要なのが、これ。ガラパゴスで生まれ育ち、ガラパゴスで働く人々が、ガラパゴスを守り続ける。

4:質の高い教育をみんなに←ガラパゴス社会の必要は、ガラパゴスの人が満たせるように
8:働きがいも経済成長も←環境を破壊する仕事をしないで食べていけるように

究極的には、「人と自然は本当に共生可能なのか?」という問いに挑んでいるのが現在のガラパゴスではないかと、私は考えています。ガラパゴスでは、SDGs17ゴールすべてを同時追求している、と言えるでしょう。

万単位の人が常住するエリアで、ガラパゴスほど保護されている生態系はありません。

そこで、「人と自然は本当に共生可能なのか?」の問いに対する答えが「No」と出たとしたら、「人と自然との共生」は他のどこの場所でも無理、ということになるでしょう。

一方、ガラパゴスでこの問いに「Yes」の答えが出せれば、他の場所でも可能性はある、という期待をもてるでしょう。

ただ、現実的には、人が住む限り、外来種のリスクは存在し続けます。逆に、外来種のリスクが存在する限り、矛盾するようですが、人が介入し続ける必要があります。

「Noではない」の状況を維持し続けることが必要であり、そのための継続的な活動に、継続的な支援が必要なのです。

私も、最後に現地を訪れたのは2009年。12年ごぶさたです。もうしばらく、渡航は難しいと思いますが、なるべく早い時期に行きたいな、と思っているところです。

言う前に、知る

日本からみればガラパゴスは太平洋のかなた。地理的にも時間的も遠い存在です。日本人がガラパゴスのことをつぶさに知らなくても無理はありません。

2021年8月末、私もかかわるNPO法人日本ガラパゴスの会のウェブサイトで、2010年に出版した書籍「ガラパゴスのふしぎ」がほぼそのまま公開できるようになりました。

この本、定価1000円の新書ですが、絶版になり、ときどき、古本で数千円の値がつくこともありました。

執筆当時から10年以上経過しているので、社会経済状況をはじめ、情報が古くなっている部分もありますが、本質は変わりません。

まずはこのサイトで、ガラパゴスが本当はどういう場所なのか、「進化の実験室」を守り続けるために、どれだけの努力と英知がつぎ込まれているのか、知っていただきたいと思います。

その上で、「ガラパゴス化」や「ガラケー」という言葉を、一般に使われているような使い方で今後も使うのが適切であるのかどうか、ご判断いただければ幸いです。

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