シオニスト会議

イスラエルでの合気道の感想

まず、先生が説明していて、生徒が聞いてる様子を見ていると、tipsみたいなものを授受している感じがする。なんというか、具体的な手順に関して、その順番自体のこととか、個別の動きこととかの、ヒントみたいなものに皆の注意と関心がいっているような感じがする。それも大事だと思うけど、そもそも何のためにやってるのかという思想が抜けている感じがするし、それをテクニカルな観点に落とすならば、例えば、入身と呼吸力への執着があまり感じられなかったりする。とにかく、武道の雰囲気と、それぞれの技の全体性みたいなものから掴んでいる人があまりいないから、皆かなり個性的なことをするし、それぞれ違った動きを毎回しているように思える。

あと、とてつもなく「大層なこと」をしている感じがする。合気道の段を持ってるわけじゃないから自信ないけど、今まで相手してくれた、父親とか、京都の道場の先生とか、古武術の子狸みたいな先生(今の親父の師匠)から何らかの技を受けたとき、いつも「実は大したことないことやってます」っていうような雰囲気を感じてた。その通りやれば、取り受け、そうなるんですみたいな。格好良く言えば、技の求めていることが起これば自然にそうなりますみたいな。それはフェンシングでもそうだった。その記憶と感覚があるから、みんなの「大層なことをしてるぜ」っていう認識と意識をギャップでビンビン感じる。そんでそれが、筋肉の強張りとか動きの固さに出てる気がする。半身で向き合うと凄い分かる。

なんでそうなるのかなと考えると、もしかすると殴られ慣れてないんじゃないかとか、喧嘩とかあんましたことないんじゃないかとか思ったりするけど(ていうか俺も慣れてないけど)、なにより、優しく、されど圧倒的な技を受けたことがないんじゃないかと思ったりする。固くて怖い、強さと速さで出来上がった技しか受けた記憶がないから、身体と心もそのように振る舞っちゃうのかもとか。とかく、暴力を取り扱っている感覚がまだ残っているようだし、技に雑味が多くて見ていられないときもある。あと、それゆえなのか、みんないちいち息切れしてるし、すごい汗をかいてる。それこそ普通の有酸素運動みたいな感じ。でも、半身で向き合った時に、自分から「こんな感じでやろうよ」みたいな雰囲気を伝えると、結構つられてくれるから、白帯の練習生にとっての練習の場にはなり得る。

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