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コロナ禍の始まりからロシアのウクライナ侵攻までが40代50代の転職パラダイスだったのではなかろうか?

コロナ禍の始まりからロシアのウクライナ侵攻までが、40代50代の転職には良いタイミングだったのではなかろうか?

つまり、2020年3月ごろから2022年2月ごろまでの約2年間だ。

私自身が2020年10月に50歳の転職を決めたのだが、コロナ禍が追い風になったと考えている。

人類の歴史の中で疫病は平等化の四騎士の一つと考えられているが、コロナ禍は日本の転職市場において年齢のハンデの壁を崩してくれた。

暗黒感が漂った疫病の騒動の中では、ビジネスの解像度を高めてくれる人材を企業は欲しかったのだろう。

それにはポテンシャル採用よりも、少しでも経験値がある人材の知恵に企業は手を伸ばしたと思う。

その経験値と知恵がある人材は、1回目の緊急事態宣言で見事に空っぽになった東京の街を目の当たりにしても、正しく恐れて怯まない心構えを備えていた。

さて、キャリアのリスクマネジメントとして、「自分はいつでも転職できる」と嘯く人はいるのだが、転職には相手の企業があることなので、いつでも転職できるわけでもない。

転職をする気がなくても万が一のために準備をしておくことが大切なのだ。

特に45歳を超えたあたりからの転職は、30代よりも長い準備期間を必要とする。

単純に年齢が高くなると求人数が少なくなる。

中高年にはコロナ禍が、早期退職やリストラのような悪い方の万が一というよりも、ポジティブな千載一遇の転職のチャンスとなったと思う。

コロナ禍前から転職の準備をしていた人には、不謹慎ながらコロナ禍は幸運をもたらしたのではないだろうか。

一方で、現職しがみつき戦略の中高年には、長い通勤時間自慢と会議での発言アピールが在宅勤務で消されてしまったので、存在を追われてしまった。

平等を不平等に変えてしまうのは、結局はその人次第なのだ。

ところで昨今、「お前はどっちの味方なのだ?」「お前はどっちを選ぶのだ?」と迫る人間が増えたのは、不平等感からの不安が人々の心の中に広まったからだろう。

敵か味方か白か黒かはっきりさせたい社会は、個人の心の中にある曖昧さの価値を増す。

「転職してもいいかな」ぐらいの狙っていない転職がいいのかもしれない。

曖昧な心持ちのほうが、自分の中にある年齢制限を撤廃してくれるものだ。

心の中の曖昧さを集めて、”しなやか”に転職をしようではないか。

40代からは、「転職するする詐欺の人」や「転職できない(と思い込んでいる)人」や「転職しないと決めた人」よりも、「転職するかもしれない人」の宙ぶらりんな余裕にキャリアの神様は優しいと思う。

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