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人間として生きること。

「我らは神の中に生き、動き、存在する」
新約聖書・使徒言行録17章28節

人間とはどのような存在なのかを真理の視点から短的に説明すればこのようになります。

私たちの命の源は神と呼ばれるけれども、私たちの想像と理解を超えたとてつもなく大きく深淵な存在です。

ありとあらゆる生命を生み出し、宇宙をも養っているその大きな存在について、ダスカロスは神ではなく絶対であり無限の存在とてして絶対無限の存在と呼びました。

私たちは絶対無限の存在である神との繋がりを忘れていても、全くもって感じられなくても、常に神の作り出したこの世界の中におり、一定のルールの中で安全に守られています。

輪廻転生という転生の仕組みからはぐれてしまうこともありませんし、悪いことをしたからと魂ごと存在そのものを消されてしまうということもありません。

生み出された私たちは愛しい存在として常に養われ、守られています。

真理を学ぶことは自分のルーツを理解し、自分という命の尊さを理解することでもあります。

そして、この人生を生きる《わたし》が人でなければ体験することができないありとあらゆる体験をすることを許されているのだと分かります。

ですから、真理を学ぶ中ではテキストを読んだり、瞑想をすることも大事ですが、内側に籠り過ぎないように気をつけてください。

日常の中にたくさんの気づきがあります。

人と関わらなければ体験出来ないことがあります。

人間は大天使達のように清らかで役割だけを忠実に果たす存在ではなく、自由に振る舞うことを許されています。

大天使たちにとって神から与えられている仕事ほ喜びそのものです。

私たちにとって喜びとは何でしょうか?

ひとりひとり、意識レベルによって喜びの感じ方は異なります。

感情を味わい尽くさなければ、次のレベルには上がっていくことができません。

人と関わることを恐れず、様々な体験と真理を照らし合わせながら、人生をより深いものにしていきましょう。

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