私の結婚観
結婚観について考えよう。
恋愛感情を持つ相手としてだけではなく、結婚をして人生を共に歩みたいと思える相手に求めるものは何だろう。
・お互いを大切にはするが干渉はしない
・一番じゃなくていい
・自分たちのやり方で進む
パッと浮かぶのはこの3つだ。
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・お互いを大切にはするが干渉はしない
私は自由にやりたいことをして生きてきた。何かを強制されたり、制限される事は嫌いだ。だから、他人にも出来るだけ干渉しない。よっぽど深い友達でない限り、踏み込んで話を聞いたりはしない。
(だからといって、人間嫌いではない。むしろ、仁義を守るし、義理堅いタイプだ。自分でいうのは何だが。恩を感じると、直ぐに人を信頼するほうだ。)
そもそも、干渉した所で自分が人をコントロール出来るなんて思っていない。まあでも、この考えはここ数年で培ったものだ。
結婚当初、相手に対して感じる違和感は、私に合わせて変わっていってくれるものと漠然と信じていた。そうやってお互い擦り合わせて変わっていくものだろうと。
だが、血のつながった家族とは違って、どこまで行っても他人は他人。何でもかんでも相手に合わせるのは難しい。
コントロール出来ないところは無理せず放っておき、相手に過度に干渉しないというのも大切だと思う。
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・一番じゃなくていい
恋人の1番になりたいか。恋人に私が1番だと思って欲しいか。
私は1番でなくてもいいと思う。
お互いに他に「頑張りたいこと」があるのは寧ろいい事じゃないか。恋人だから1番でなければないといけないのかな?
「旦那だから優先」はなく、優先したい時にこっちが勝手に優先すればいい。
そしてその人が1番頑張りたい事を、1番近くで応援すればいいし、して欲しい。理想過ぎるのかなぁ…?
私はバスケや友達との約束、離れて過ごす親兄弟との時間は出来るだけ優先しておきたい。
やれることはやれるうちに思いっきりやりたい。
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・自分たちのやり方で進む
上の2つで触れた通り、干渉せず、頑張りたい事を尊重し合うということは、価値観や頑張りたい事が違う結果となり、物理的に距離が出来るかもしれない。過ごす時間帯が違ってお互い一緒にいる時間が減ったりね。
恋愛感情だけの彼氏彼女なら、一緒にいれないことが苦痛に感じる事もあるだろう。でも結婚相手となるとそれだけではないはずだ。
私の父と母は共働きで趣味も違い、2人でゆっくり過ごすところをあまり見ることはなかった。どちらかというと、子育てや生活をするための戦友といった感じだ。お互い一生懸命楽しそうに仕事をしていた。
でもいま、子育てを終え、60を超えて、仕事は続けているが、人生がひと段落した。父と母は休日が合うたびに近所を散歩してランチしたり、買い物に行ったりしている。
頑張りたい事が落ち着いて、優先順位が少し変わってきたのかなと思う。
それを私は彼らの「やり方」だなと思う。そのやり方だけが正解ではないが、半世紀弱かけて作り上げた、彼らだけのやり方だ。
こうしていれば正解というやり方はない。だから、普通はこうするとか、理想はこうとかもない。と思う。
2人だけのやり方を固定概念なく模索できるパートナー。それが相手に求めるものだ。
まあとにかく、私は自由に生きて後悔なく死にたい。それに付き合ってあげてもいいよと思ってくれる価値観をもっているかどうか。
これが私の結婚観なのだろう。
今のところ。