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転がる岩、君に朝が降る~私から私たちへ。これからの生き方を、8月の屋久島にて~

たくさんスマホに書いたり録音したメモについてや写真と納めたものは、
また気分が乗った時に共有するとして、今日は感じるままにエッセイを書き記す。

これは屋久島での自己対話の書き溜めであり、これからへの生き方のヒント。
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屋久島での対話

屋久島で自然と戯れながら、一人、山を登りながら景色を見る時間。

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汗が滴り、暑さを感じ、時にペットボトルの、時に川の水を口に含み、
そしてまた汗が流れ落ちる中、無心の状況にふと心に芽生えるのは、
8月という季節の思い出と、自分が創りたい人との関係性についてと、そして自分の未来像と、これからへのワクワクとそれをかき消す不安と。

考えたらわかるけれど、違和感が生まれる。
でも感じて考えたら、納得感が生まれる。そんなことが多かった旅であった。

深く刻まれる8月

話は変わるが、8月という季節は僕にとってとても思い出の詰まった季節だ。

「終戦記念日」では「命」についてと、「日常への違和感」を考え、
中学2年生から通う、RISING SUN ROCK FESTIVALの、「SUN STAGE」
2010年8月15日 午前5時 最後のアンコールで演奏された、『ASIAN KUNG-FU GENERATION 転がる岩、君に朝が降る』
2018年 8月12日 午前3時半 『東京スカパラダイスオーケストラ』の演奏で感じたこと。
そして僕にとっていつも大事な問いをくれる、「大川小学校のスタディツアー」も、夏だからこその思い出として蘇る。

▼2018 スカパラのステージに集ったアーティストたち

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※参考資料
●ASIAN KUNG-FU GENERATION『転がる岩、君に朝が降る』
https://www.youtube.com/watch?v=sXrkgyxATwg
●東京スカパラダイスオーケストラ(2018年RSR)セットリスト
https://rsr.wess.co.jp/2018/artists/lineup/profile/26
●「防災を考えることは生き方を考えること」佐藤敏郎さんインタビュー
https://www.collabo-school.net/news/trip/2017/06/06/20858/
(共に活動させていただいていた、佐藤敏郎さんのインタビュー)

8月は命とか人生を強く考える時間が多いような気がする。

そんな季節屋久島にて。また命を考えた。

この苔ってどんな生きている意味があるのだろうか

考えたらわかるけれど、違和感が生まれる。
でも感じて考えたら、納得感が生まれる。

歩きながらふと感じたことがあった。

「この苔はどんな生きている意味があるんだろうか?」

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静かな山の中、刺激というものもない中生きている。

屋久島全体に有り余るほどある。
きっと目の前にある50cm×50cmの緑のはかない結晶は、姿がなくなっても、屋久島は世界遺産であり続け、素晴らき神秘的なものであり、
そして山も生き続けるだろう。

特に問題はない。何も問題はない。
でも、それでいいんだろうか。

確かにそうであろうと、そうでいいはずがない。それでいいはずがないのだ。

この苔の周りはどう「思うんだろう」。。

ふとそんなおもいに駆られる。

自分がこの木々であり、またこの苔の周りにいる苔だったら、超悔しく、そして悲しい。

長い年月を経て共に生きてきた存在が急に居なくなってしまう。
それは無念であり、とても虚しい。

全体としては正直どうでもいいかもしれない。

その周辺の生き物にとってどうでもいい訳なんてない。
隣の苔がいたからこそ得られたものがあるはずだ。
それは水を分け合うという機能としてだけではなく、共に生きるという目に見えない生きがいではないか。

なんだか勝手に苔に大切なことを教わった気がした。

未来への不安との葛藤

屋久島はすべてのスケールが大きかった。

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木々はたくましく、壮大なあまりこのスケールが当たり前に感じ、壮大さを途中で忘れてしまったほどだった。

長らく生きているこの山は画一的なところなどなく、多様に生きている。
倒れてしまったものや、あらぬ方向へと根と幹を伸ばすものや、他のものたちに支えられた木々は、確かに生きていた。

そしてどれも想定内とは言えないであろう営みを静かにしていた。

屋久島は広く広大で、多様で、美しい。
そんな中に淀んだ不安な心を持った自分がいると思うと、
どこかとても陳腐で虚しかった。

未来に対して、屋久島の木々は不安を持つのだろうか。
きっと持っていないのではないだろうか。
未来への不安というものを抱えずに、生きているように見える彼らがとてもかっこよく、なんだか羨ましかった。

とても小さい自分。そして世の中から見れば大したことなんてない、たった一人のホモ・サピエンス。
未来への不安を一人で抱え込むから不安なのだとこの時に悟った。

不安も悲しみも喜びも嬉しさもなるべくシェアしたい。

そしてまた、不安という気持ちに引っ張られることはやめにしたいとも思った。

屋久島の木々も一つ一つが独立していたら、とても生きるのが不安だろう。

長い年月、ほとんど手を加えられない形の中、互いの信頼関係を築いてきたかの如く、
良質な水が互いに流れているからこそ、美しく今を生きている。

搾取し合わず共に在る。そんなことを強く思い、体現しているからこそ、不安なんてさほどないのではないだろうか。

旅のお供だった本 「ゆっくり、いそげ」

今回の旅のお供に1冊の本を持っていった。
それは感覚的に今もう一回読みたい。そう思ってシェアハウスにある200冊ほどの本から1冊セレクトした。

「ゆっくり、いそげ」クルミドコーヒー 店主 影山さんの本だ。

理由は「これからの経済圏と人との付き合い方について、見つめたい」そんな思いから。

今回の旅に大きな影響を及ぼしたのは間違えない。

多くは語らずと、人を手段化しない経済についてコーヒーを片手にぜひ読んでほしい。

死ぬ間際、後悔ないなどないと言える自分であり、資本主義経済の発展にも寄与できよう、信用の前に信頼を大事にすることをより意識したい。

私から私たちへ 「転がる岩、君に朝が降る」

2010年 8月15日 早朝 RISING SUN ROCK FESTIVAL SUN STAGEで聴いた最後のアンコール。ふと屋久島で聴きたくなった。

「転がる岩、君に朝が降る /ASIAN KUNG-FU GENERATION 」

出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっと それもあるよな
俳優や映画スターには成れない
それどころか君の前でさえも上手に笑えない
そんな僕に術はないよな
嗚呼…

                       詞 後藤正文

この一節から始まるこの曲は、ヒーローになる力のない無力でちっぽけな自分への葛藤を持ちながら、それでも前にがむしゃらに進んでいく、そんな想いを込めている(と解釈している)。

日々の生活の中で思う。一人の大切な人との関係性においても、ヒーローになることができない自分の虚しさ。

友達や、就活相談をしてくれる学生や、大切な人。その人に対してきっと上手にこれからも付き合えないかもしれない。

世界を大きく変えることも難しい無力感に苛まれる自分。

大きな理想を掲げて、そこにたどり着くことは早々できないだろう。なんのためにしているんだろうと自問自答する夜もこれからまだまだ続くだろう。

それでもなお、前にとにかく進んでいきたい。未熟であり続けるだろう。そしてまた、孤独だと嘆くだろう。でもそんな時、一人で向かう旅ではなく、無数の人との信頼関係の中でボートを漕ぎ続け、私でない私たちとして生きていることへの自覚を持てというお告げであると我にかえりたい。

自分の夢や希望は私のものではなく、私たちのものであるよう、常に問い続け、創り続け、人に頼ることで前に進みたい。
そんな未熟な自分への勇気の曲が、再び教えてくれた。

※参考資料
「転がる岩、君に朝が降る」はASIAN KUNG-FU GENERATIONの名曲!歌詞の意味とは?
https://otokake.com/matome/no4YdQ?page=2

朝日を見る時に
「私でなく、私たちとして生きていくのだ」と、
苔とアジカンと8月という季節を思い出し、
がむしゃらに生きる人生でありたい。

高橋 奎

Twitter:@_keitakahashi_

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